削除された内容 追加された内容
25行目:
小説『[[三国志演義]]』においては、孫権が呉の国主になった後に集まってきた武将の一人として名が挙がり、孫権の将軍として何回か名前が登場するが、正史と違い目立った活躍はない。劉備が[[孫夫人]]との婚礼のため呉を訪れ、のちに孫夫人を連れて荊州に逃走したときは、陳武とともに追撃の任を孫権から任されるが、[[張昭]]に2人では孫夫人の相手は務まらないだろうといわれ、孫夫人に一喝され引き返している。
 
関羽討伐では正史通りの活躍を見せ、[[青龍偃月刀]]褒美として与えられる。夷陵の戦いでは、関羽の仇として[[黄忠]]に付け狙われ逃げ回るが、このときは馬忠に救われ、逆に黄忠を戦死させている。しかし次は関羽の子[[関興]]に狙われ、やはり逃げ回った挙句、寝食を求め訪れた民家で関興と鉢合わせし、関羽の亡霊に怯んだところを関興に斬り殺されている。
 
{{DEFAULTSORT:はん しよう}}