「クリストフォロス (ギリシャ王子)」の版間の差分

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[[ゲオルギオス1世 (ギリシャ王)|ゲオルギオス1世]]と王妃[[オルガ (ギリシャ王妃)|オルガ]]の末子として、[[ロシア帝国]]の[[パヴロフスク]]で生まれた。[[ギリシャ軍]]に入隊するが、彼は兄弟たちとは違って王族の義務よりもピアノを弾くのを好む性質であった。青年時代、[[ポルトガル王国|ポルトガル]]、[[リトアニア王国 (1918年)|リトアニア]]、[[アルバニア王国 (近代)|アルバニア]]の3ヶ国から国王にと打診されたが、責務を嫌うクリストフォロスはどれも辞退している。
 
1910年、スコットランドを訪れたクリストフォロスは、ファイフ公爵アレグザンダーと従姉[[ルイーズ (ファイフ公爵夫人)|イギリス王女ルイーズ]]の長女[[アレクサンドラ (ファイフ公爵夫人)|アレクサンドラ]]と結婚の約束をした。ルイーズの妹[[ヴィクトリア・アレクサンドラ (イギリス王女)|ヴィクトリア・アレクサンドラ]]の励ましもあり婚約に至るかと思われたが、公爵の反対に合い、結婚を諦めた。
 
1920年、アメリカ人女性ナンシー・ステュアート・ワーシントン・リーズと結婚した。ナンシーはギリシャ・[[デンマーク]]王女アナスタシアと名乗った。ナンシーは2度の結婚歴(死別と離別)のある平民であったため、2人の結婚が許可されるまで6年を要した。彼女は2度目の夫から莫大な遺産を相続した大富豪で、1920年代に亡命を余儀なくされたギリシャ王室はナンシーの財力を頼って生活した。しかし結婚からわずか3年後、ナンシーは癌のためにロンドンで死去した。クリストフォロスとの間に子はなかったが、彼はナンシーの先夫との子ウィリアムと養子縁組し、姪にあたる[[クセニヤ・ゲオルギエヴナ]](クリストフォロスの姉[[マリア・ゲオルギエヴナ]]の娘)と結婚させた。