削除された内容 追加された内容
→‎人物: 市井?
EULE (会話) による ID:50507593 の版を取り消し
71行目:
 
ちなみに田沼意次を抜擢した徳川家治については、かつては田沼とワンセットで暗君との評価がなされてきた。[[徳川綱吉]]、[[徳川吉宗]]以降の将軍専制政治体制(将軍が[[側用人]]・御用取次を通じて政治を行う体制)において、家治が積極的な政治関与を行わなかったことが「悪人」である田沼に強力な政治的権力を握らせることになった要因とされる。しかし田沼悪人説が覆されるようになってからは、家治についても意次を抜擢したことを高く評価する意見が一部に出始めている(単純に政務を放棄するのであれば、そもそも側用人を任命して将軍専制体制を敷く必要すらなかったのであり、むしろ家治は田沼を積極的にバックアップするために彼を側用人に任命したとする。- [[井沢元彦]]/[[逆説の日本史]])。
 
また最近では、市井の研究家である後藤晃一が、いわゆる田沼時代の諸政策を主導したのは徳川家治であり、田沼意次は家治を支えた多くの優秀な幕閣のひとりに過ぎないという説を唱えている。意次が実際の政治を担ったのは、家治の治世の最後の6年間であり、この時期の家治が嫡男・[[徳川家基|家基]]を亡くして気力が衰えた事が原因とする。そしてその6年間は浅間山噴火などの天災が頻発した時期であった事と、家斉の時代に前時代を批判した事が、あたかも意次が家治の治世を通して政治の実権を握り、悪政を行ったかのごとき印象が広まったとする。
 
== 人脈 ==