「アルフレッド大王」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
56行目:
 
[[875年]]にウェセックス勢が初めて海戦で勝利を収めると、翌[[876年]]にはスオニジの海戦でデーン人の戦艦120隻を沈めるという大勝利を得た。
しかし[[878年]]デーン人にアルフレッドの居たチップナムを急襲され、逃亡を余儀なくされたアルフレッドはアセルニーへ隠棲した。天然の要害であったアセルニーに要塞を建立し、召集兵を再編成、反撃の機を待ち{{仮リンク|エディントンの戦い|en|Battle of Edington|label=エサンドゥーンの戦い}}({{lang-ang|Battle of Ethandun}}、現在の[[ウィルトシャー|ウィルトシャー州]]{{仮リンク|エディントン]] (ウィルトシャー州)|en|Edington, Wiltshire|label=エディントン}}付近)でデーン勢を破りウェセックスを奪還することに成功する。
 
デーン人の船を参考としたアルフレッド型軍艦を建造させ、フリースラントなどから水夫を呼び寄せ、海軍を創設した<ref>アルフレッドが英国海軍の父と呼ばれるのはこれが起源である。</ref>。[[882年]]には4隻の軍艦と海戦し、これに勝利する。[[886年]]には[[ロンドン]]を掌握。[[ウェドモーアの和議]]で平和条約を締結し、彼らの勢力範囲を[[イングランド]]東北部の[[デーンロウ]]にとどめ、イングランド統一の基礎を築いた。[[893年]]以降もデーン勢とたびたび交戦するが、全て撃退されておりアルフレッドの平和を脅かすほどではなかった。なお、デーンロウが回復するのはアルフレッドの二人の子、[[エドワード長兄王]]とマーシアの貴婦人[[エゼルフリダ]]の時代になってからである。