「七王国」の版間の差分

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王国が形成されつつある当初は[[アングル人]]の建てた[[ノーサンブリア]]、[[マーシア]]が隆盛を誇り、[[ノーサンブリア]]王[[エドウィン (ノーサンブリア王)|エドウィン]]、[[オスワルド (ノーサンブリア王)|オスワルド]]、[[オスウィ (ノーサンブリア王)|オスウィ]]、そして[[マーシア]]王[[ペンダ (マーシア王)|ペンダ]]など非常に強力な王が存在した。彼らはしばしば[[ブレトワルダ]]と呼ばれ、イングランドの覇を競ったと伝えられるが、この覇王の称号が実際使われたものなのか、それとも後世の年代記者の創作の賜物かは分かってはいない。またこの時代ローマ系キリスト教が再上陸し、ケント王[[エゼルベルト (ケント王)|エゼルベルト]]を最初にイングランド各地に広まった。と同時に[[ウェールズ]]、[[コーンウォール]]の[[ブリトン人]]が保持してきた[[ケルト系キリスト教]]は劣勢となった。
 
[[ウェセックス]]が台頭し始めたのは[[キャドワラ]]王となってからである。数世代前に父祖の地をマーシアに獲られたウェセックスは東に進撃、サセックス、ケントを侵略した。同時にこの時代から大陸より[[ノルマン人]]の一派であるデーン人がブリテン島に定住し始め、東沿岸部のノーサンブリア、イースト・アングリアはこの侵略の前に守勢になる。その中でウェセックスはデーン人に対抗するアングロサクソン人の求心力を得て、[[825年]]の{{仮リンク|エランダンの戦い|en|Battle of Ellandun}}で[[エグバート (ウェセックス王)|エグバート]]のもとで{{仮リンク|エランダンの戦|en|Battle of Ellandun}}る[[ウェセックス]]が[[マーシア]]に勝利しイングランドを統一した。
 
しかし同じころ、デーン人の侵入が活発化していてイングランドを侵略、ノーサンブリア、イースト・アングリアが滅亡する中でウェセックスは唯一生き残ったアングロサクソン王国となる。しかし劣勢の中で[[アルフレッド大王]]が{{仮リンク|エディントンの戦い|en|Battle of Edington|label=エサンドゥーンの戦い}}({{lang-ang|Battle of Ethandun}}、現在の[[ウィルトシャー|ウィルトシャー州]]{{仮リンク|エディントン (ウィルトシャー州)|en|Edington, Wiltshire|label=エディントン}}付近)でデーン人に勝利、[[ウェドモーアの和議]]でデーン人の支配地域を[[デーンロウ]]として認め一種の均衡状態による和平を築いた。そしてこの時代、彼の元で[[古英語]]文献の集大成が行われ、ウェセックス王国はアングロサクソン文化の伝統を築き上げる。この事がデーン人の侵略という困難の中でかえってアングロサクソン人の求心力を呼び、後に全てのアングロサクソン諸国を統一し、スコットランド王国の恭順を受けたウェセックスは後の[[イングランド王国]]の母体となった。その後デーン人、ノルマン人とイングランドの支配階級が変わる事になっていくが、デーン人は支配階級として政治に参加する者はアングロサクソンの出自であっても「デーン人」と呼ぶのを慣わしとしており、また後世[[11世紀]]に数多くの[[ノルマンディー公国]]出身の[[ノルマン人]]貴族が支配者として入ってきた際にイングランドにある数多くの階級制度に驚いている事から、七王国時代の社会制度はこの時まで温存されていたものと思われる。