「マルク州」の版間の差分

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population= 1,277,414 (2003)|
ethnicity = アンボン人, ルモリ人, ヌアウル人,<br/>ラナ人, メラネシア人, ジャワ人, ミナハサ人, 中国系インドネシア人|
religion = [[イスラーム]] (49,.1%), [[プロテスタント]]<br/> (42,.5%),[[カトリック教会|カトリック]] (7,.7%), その他<br/>([[ヒンドゥー教]], [[仏教]]) (0,.7%)|
language = [[インドネシア語]]|
Time= [[インドネシア時間|WIT]] ([[UTC+9]])|
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{{main|{{仮リンク|マルク諸島・アンボンの宗教紛争|en|Maluku sectarian conflict}}}}
[[Image:AmbonCity2001.jpg|240px|thumb|内戦の結果荒廃したアンボン市]]
マルク州はもともとキリスト教徒とイスラム教徒が共存してきた地域であったが、1999年1月14日に[[アルー諸島]]の{{仮リンク|ドボ|id|Dobo}}において両者の間に争乱が発生。この争乱は5日後にアンボン市に波及し、イスラム教徒のブギス人とキリスト教徒のアンボン人が、お互いの住居や商店に焼き討ちを行った。この対立は同じ日のうちに[[カイ諸島]]、{{仮リンク|サパルア島|en|Saparua}}、{{仮リンク|ハルク島|en|Haruku Island}}、[[セラム島]]などに飛び火。この年の年末までに40004,000人の死者と40万人の難民が発生した。
 
この内戦の発生時、お互いの対立を意図的に煽る者や情報が組織的に準備されたとの情報があり、インドネシア軍が国政に対する影響力を維持するために、ワヒド政権への揺さぶりをかける目的で仕組んだものではないかとの指摘がある<ref>尾本恵市、笹岡正俊、新妻昭夫、弘末雅士「マルク「宗教抗争」はなぜ起きたのか」『海のアジア4:ウォーレシアという世界』岩波書店、2004年</ref>。
 
== 行政区分 ==