「ジャン2世 (キプロス王)」の版間の差分

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*クレオーファ(? - 1448年)
 
また、ジャン2世は愛妾[[マリエット・ド・パトラ]]との間に庶出の息子[[ジャック2世 (キプロス王)|ジャック]](1440年頃 - 1473年)がおり、ジャックは1456年にニコシア大司教の聖職を授けられるが、とてもその任に堪える素行の人物とは言えず、宮廷の侍従を殺害する事件を起こして大司教の位を剥奪された。だが、ジャン2世は後にジャックを大司教に復させている。
 
王妃エレニとジャックの仲は険悪で、両者はジャン2世王に対する影響力をめぐり、競い合った。1458年にエレニが死ぬと、ジャン2世はジャックを後継者に据えようとしたようだが、それが実現する前に死亡した。