「世界真光文明教団」の版間の差分

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'''世界真光文明教団'''(せかいまひかりぶんめいきょうだん)は、[[岡田光玉|岡田良一(光玉)]]が設立した[[新宗教]]。現在の本部は[[静岡県]][[伊豆市]]である。日本を中心に、台湾、アメリカなどにも支部・道場がある。手をかざして災厄を祓う「真光の業」と、それまでの既成宗教団体には伝わらなかった「真理正法」の教えを車の両輪としている。
== 概要 ==
教祖(初代教え主)[[岡田光玉]]によって[[1959年]][[2月27日]]に立教。1974年6月23日の岡田光玉の死去のため、生前の指名により[[関口榮]]の勘違いから独断で二代教え主に就任した(『真光』誌昭和49年9月号)。現在は関口榮の息子の[[関口勝利]]が三代目を継承している。[[1987年]][[8月23日]]には静岡県伊豆市に[[本山]]である主晃一大神宮(スノヒカリヒイオオカムノミヤ)を建設。[[2009年]][[8月2日]]には立教50周年大祭が挙行された。また陽光大学を開校している。
平成26年8月3日に執り行われる、立教55周年大祭では主座ご本殿での参拝と地方の主座での参拝を行い、
50年先100年先を見据えたみ祭りを行う出発点でもあり、真光文明へ向かっての大事な祭典になる。
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「手かざし」により世の救済をせよと神より指示されたとされる。ちなみに最初に手かざしをしたのは光玉の前に通りがかった犬であったと本人は後述している。
昭和38年に世界真光文明教団として宗教法人登記。
昇天する前に、二代教え主は関口榮氏にと指名する<ref>[http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/month?id=104303&pg=200404/ 暴かれた真光]</ref>も、教団内で継承者問題が勃発。正当性を争う裁判が行われ、最高裁を前に双方が和解。その後は別教団として教線の拡大をそれぞれ行うことで締結された。
昇天する前に、'''二代教え主は関口榮氏にと指名'''<ref>実際には指名ではなく、[すでに光玉本人から娘・恵珠に自分の(おみたま)を渡す、「みたまの継承」を熱海の元みたま座で行っており、それを知った関口榮本人と関口氏側の幹部が口裏合わせを行い、ある大祭中に一方的に「関口榮が光玉から指名された」と発表してしまった為、内部で混乱がおきた]'''という説が存在する。その後、継承問題を関口氏が最高裁に訴え'''真光裁判'''に発展し和解後、分裂し現在の形に落ち着いている。</ref>する。
* [[関口榮]]
:教団からは二代教え主聖峰真光大導主と呼ばれている。主座世界総本山を建立した。[[1994年]][[1月3日]]、死去