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[[ファイル:Korean priest-Andrew Kim Taegon-02.jpg|thumb|right|金大建]]
 
'''金大建'''(キム デゴン、[[1821年]][[8月21日]] - [[1846年]][[9月16日]])は朝鮮最初の[[カトリック教会|カトリック]][[司祭]]である。[[洗礼名]]に使われる場合は'''アンドレア・キム・デゴン'''とする。カトリック教会の[[聖人]]で祝日は[[9月20日]]である。
 
==生涯==
[[忠清南道]]唐津郡牛江面生まれ。7歳のとき、[[京畿道]][[龍仁郡]]内四面に移り、同地で育った。[[1836年]]フランス人司祭P・モーバンから洗礼を受け、司祭志願者としてモーバン神父と共にソウルへ赴いた。
 
通訳であった劉進吉から中国語を学び、モーバンの紹介状をもって中国に渡った。朝鮮布教の責任をもっていた[[マカオ]]の[[パリ外国宣教会]]のカレーリ神父から神学および西洋の諸学問と[[フランス語]]・[[中国語]]・[[ラテン語]]を習った。[[1842年]]、キリスト教への弾圧が行われていた朝鮮半島への密入国に挑んだ。 何度も密入国に失敗したため、一旦、八家子に戻ってメストロ神父の元で神学の研鑽を続けた。[[1845年]]になって一人で国境を越えて[[漢城府|漢城]]への潜入に成功し、ひそかに布教を続けた。後にパリ外国宣教会に支援を要請するために再びソウルを出て[[上海市|上海]]に渡った。上海で韓国人として最初の司祭に[[叙階]]され、8月ペレオール司教、ダブルィ司教と共に上海を出港した。出港して3日後に嵐に遭い[[済州島]]に漂着したが、その後、忠清南道に潜入して各地で布教にあたった。[[1846年]]に逮捕され、厳しい拷問と取調べを受けた。宣教会の仲間と信徒たちへの遺言書を書き残した後、26歳で処刑され、殉教した。
 
==列聖==
[[1857年]][[教皇庁]]によって尊者とされ、[[1925年]]には[[列福]]、[[1984年]]に[[教皇]][[ヨハネ・パウロ2世]]によって他の102名の殉教者と共に[[列聖]]され、[[聖人]]にあげられた。
 
==関連項目==