「飛騨高山藩」の版間の差分

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===天領時代===
[[天領地]]となった飛騨高山には[[代官]]として[[関東郡代]]の[[伊奈忠篤]]が兼任で入り、[[加賀国|加賀]][[加賀藩|金沢藩]]主の[[前田綱紀]]が高山城在番となった。高山城の維持が難しくなった幕府は[[元禄]]8年([[1695年]])に取り壊しを決め、それ以後飛騨高山代官・郡代は金森家の下屋敷であった[[高山陣屋]]にて政務を行った(ただし、高山陣屋在勤制の成立は[[長谷川忠崇]]が代官であった[[元文]]3年([[1738年]])とする説もある)。
 
[[正徳 (日本)|正徳]]5年([[1715年]])[[森山実道]]が専任の代官に任じられたが、[[安永]]6年([[1777年]])代官[[大原紹正]]が飛騨一国の[[検地]]を成功された功績を高く評価されて[[飛騨郡代]]に任命された(なお、紹正への評価の高さは1代のみとは言え、嫡子[[大原正純|正純]]への郡代[[世襲]]が許されている点からも言える)。