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{{Otheruses|経済におけるインフレーション|[[宇宙論]]のモデル|宇宙のインフレーション}}
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{{Otheruses|経済におけるインフレーション|[[宇宙論]]のモデル|宇宙のインフレーション}}
 
[[Image:World_Inflation_rate_2007.PNG|thumb|420px|年あたりのインフレ率地図<br />紫色:デフレ状態<br />紺色:0 - 2%<br />水色:2 - 5%<br />緑色:5 - 10%<br />黄緑色:10 - 15%<br />橙色:15% - 25%<br />赤色:25%以上<br />[[中央情報局|CIA]]調べ、調査年度は国ごとに異なる]]
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'''インフレーション'''(inflation)とは、経済学においてモノやサービスの全体の価格レベル、すなわち[[物価]]が、ある期間において持続的に上昇する[[経済]]現象である。日本語の略称は'''インフレ'''。日本語では「通貨膨張」とも訳す<ref>{{Cite web |url=http://ejje.weblio.jp/content/inflation |title=inflationの意味 - 英和辞典 Weblio辞書 |accessdate=2012-04-26}}</ref>、俗称は「右肩上がり」。反対に物価の持続的な下落を[[デフレーション]]という。
 
== 概説 ==
[[消費者物価指数]] (CPI:consumer(CPI:consumer price index)index)など各種物価指数の上昇率がインフレーションの指標となる。典型的なインフレは、好況で経済やサービスに対する需要が増加し、経済全体で見た[[需要と供給]]のバランス([[均衡]])が崩れ、[[総需要]]が総供給を上回った場合に、物価の上昇によって需給が調整されることで発生する。物価の上昇は[[貨幣]]価値の低下を同時に意味する。つまり同じ貨幣で買える物が少なくなる。
 
インフレは好況下での発生が多いが、不況下にも関わらず物価が上昇を続けることがあり、こちらは区別し[[スタグフレーション]] (stagflation) (stagflation)と呼ばれる。
 
主に[[マクロ経済学]]で研究される現象である。
 
=== 語源 ===
本来はインフレーションは、[[マネーサプライ]]の上昇、これはいわば市中に出回っている[[通貨]]の量が増加(膨張)していくことを意味し、monetary inflationとも呼ばれ、物価レベルの上昇(price inflation)とは厳密には区別される。後者については略語で'''インフレ'''とも呼ばれ、インフレと言えばこのprice inflationのことを指す場合が多い。
 
== 物価 ==
物価の安定は、経済が安定的かつ持続的成長を遂げていく上で不可欠な基盤であり、[[中央銀行]]はこれを通じて「国民経済の健全な発展」に資するという役割を担う。中央銀行の[[金融政策]]の最も重要な目的は、「物価の安定」を図ることにあるとする<ref>「教えて!にちぎん」[http://www.boj.or.jp/oshiete/outline/01101001.htm]</ref>。
 
[[資産|資産価格]]の金融政策運営上の位置付けを考えた場合、資産価格の安定そのものは金融政策の最終目標とはなり得ないというのが、各国当局、学界のほぼ一致した見方である<ref>「資産価格と金融政策運営」植村・鈴木・近田(日本銀行ワーキングペーパー1997-7)[http://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_1998/cwp97j03.htm/]</ref>。'''一般物価'''の安定と資産価格の安定という二つの目標を金融政策という一つの政策手段で達成することは出来ず、一般物価の安定が重点的に割り当てられる金融政策では、資産価格安定の任を成し得ない(→[[ヤン・ティンバーゲン|ティンバーゲンの定理]])<ref>『日本経済復活 一番かんたんな方法』、[[飯田泰之]]他著、光文社</ref>。
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== インフレーションの要因別分類 ==
大きく分けると、実物的な要因と貨幣的な要因に分けられる。前者はさらに国内要因と貿易要因、需要要因と供給要因に分けられる。
 
=== 実物的要因によるインフレーション ===
戦争や産業構造破壊により、供給が需要を大幅に下回ることによって発生するインフレ。第二次大戦終戦直後の日本(1946([[1946]])では300%強のインフレ率を記録している。また、[[ジンバブエ]]では、政策により白人農家が国外に追い出され農業構造が破壊されたところに旱魃が追い討ちをかけたことにより極度の物不足が発生、最終的に2億3000万%という超[[ハイパーインフレーション]]となった<ref>三橋貴『高校生でもわかる日本経済のすごさ!』彩図社</ref>。
 
=== 需要インフレーション ===
需要側に原因があるインフレーションで、'''ディマンドプル・インフレーション'''(デマンドプルインフレーション/demand-pull inflation)とも呼ばれる。需要の増大([[需要曲線]]の上方シフト)により 、物価が上昇する。この場合、[[供給曲線]]が垂直(生産力が上昇しない)場合を除いて景気はよくなる。
 
[[1973年]]から[[1975年]]にかけての[[日本]]のインフレーションの原因は、[[オイルショック]]に注目が集まるが、[[変動相場制]]移行直前の短資流入による過剰流動性、「[[日本列島改造論|列島改造]]ブーム」による過剰な建設需要も大きな要因である。
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: 他国の輸入を通じて国外のインフレーションが国内に影響し発生する。例えば穀物を輸入していた国が、輸出元の国の内需が増加したり輸出元が他の需要国へ輸出を振り分けた場合などに穀物の輸入が減少し、穀物価格が上昇するといった具合である。実際に中国が穀物純輸入国に転じた際、トウモロコシ市場で価格急騰が起きたことがある。
; キャッチアップインフレーション
: 賃金や物価統制を行っている体制が、市場経済に移行する際に発生することが多い。米国および日本で[[1970年代]]にかけて発生した。欧州では[[冷戦]]の終結および[[欧州中央銀行]] (ECB) (ECB)拡大による東欧諸国の自由主義諸国への経済統合により、低賃金諸国での賃金・サービス価格の上昇によるキャッチアップインフレが発生している<ref>[http://www.murc.jp/shimanaka/monthly/2002/eur0207.pdf][http://www.murc.jp/shimanaka/weekly/2002/eur020624.pdf]</ref>。
 
=== 貨幣的要因によるインフレーション ===
[[貨幣]]の供給量が増えることによって発生する。貨幣の供給増加は、他のあらゆる財・サービスに対する貨幣の相対価値を低下させるが、これはインフレーションそのものである。さらに、貨幣の供給増加は貨幣に対する債券の相対価値を高めることになり名目[[利子|金利]]を低下させる。このため通常は[[投資]]が増大し、需要増大をもたらす。そのプロセスが最終的に、需要インフレに帰結することでもインフレーションに結びつく。公開市場操作などの中央銀行による通常の貨幣供給調節以外に、貨幣の供給が増える特段の理由がある場合には、「財政インフレ」「信用インフレ」「為替インフレ」などと呼んで区分けることもある。
; 財政インフレーション
: 政府の発行した[[公債]]を[[中央銀行]]が引き受けること(財政ファイナンス、マネタイゼーション)により、貨幣の供給が増加して発生するインフレーション<ref>「財政赤字の問題点について」[http://www.mof.go.jp/singikai/zaiseseido/siryou/zaiseic/c150318f1.pdf]PDF- P.2、「デフレ、不良債権問題と金融政策」深尾光洋(財務省財務総合政策研究所2002.8)[http://www.mof.go.jp/f-review/r64/r_64_004_041.pdf] P.40</ref>。金融緩和を経由した効果に加えて、財政支出による有効需要創出効果によって需要インフレも発生する。ハイパーインフレは財政ファイナンスを原因とすることが多い。
; 信用インフレーション
: [[市中銀行]]が貸付や信用保証を増加させることによって[[信用貨幣]]の供給量が増大することから発生するインフレーション。
; 為替インフレーション
: 外国為替市場を経由して通貨が大量に供給されることで発生するインフレーション。戦前の金解禁における「為替インフレーション論争」を特に指す場合もある<ref>Cinii文献情報[http://ci.nii.ac.jp/search?q=%E7%82%BA%E6%9B%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC&range=0&count=200&sortorder=1&type=0]</ref><ref>「為替相場の「名目的」変動の購買力平価説:「外国為替相場変動の二重性」再論」吉田賢一(北海道大学 経済学研究1996.06)[http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/32024/1/46(1)_P5346(1)_P53-68.pdf]「金解禁(昭和5〜6年)の歴史的意義:井上準之助の緊縮財政政策」吉田賢一(北海道大学 経済学研究 1988.12)[http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/31805/1/38(3)_P4738(3)_P47-78.pdf]</ref><ref>「インフレーションのマネタリイファクター」藤沢正也(小樽商科大商学討究1960)[http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/3233/1/ER_10(3)_1ER_10(3)_1-30.pdf]</ref>。なお、当時は固定相場制であり、現在の変動相場制とは、外国為替市場の動きが貨幣供給量に与える影響が異なることに留意が必要である。
 
== インフレーションの速度別分類 ==
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: 早足に進むインフレーション。馬の早足を表す「ギャロップ」から。インフレ率は年率10%超-数十%程度を指すことが多い。<!--賃金上昇率が物価上昇率に追いつかなくなり、そのため-->スタグフレーション<!--失業を伴うインフレ-->に伴って生じることがある。<!--ただしトルコの経済成長の例もある。-->
; ハイパーインフレーション
: 国際会計基準の定義では3年間で累積100%(年率約26%)の物価上昇をハイパーインフレーションと呼ぶ<ref>[[高橋洋一 (経済学者)|高橋洋一]] 『この経済政策が日本を殺す』 扶桑社〈扶桑社新書〉、[[2011年]]、69頁。</ref>。但し具体的なインフレ率の値によるのではなく、単に「猛烈な勢いで進行するインフレーション」の意で用いられるのが一般的である。[[:en:Phillip D. Cagan|ケーガン]]による定義では月率50%<ref name="thiseconomicpolicy">高橋洋一 『この経済政策が日本を殺す』 扶桑社〈扶桑社新書〉、2011年、68頁。</ref>(年率13000%<ref name="thiseconomicpolicy" /><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20110908.htm 研究 「震災復興本」を読む:原発問題と復興資金の財源問題を中心に] Chuo Online YOMIURU ONLINE(読売新聞)2011) 2011[[9月8日]]</ref>)を超える物価上昇をハイパーインフレーションと呼んでいる<ref>Phillip D. Cagan, ''The Monetary Dynamics of Hyperinflation'', in Milton Friedman (Editor)Friedman(Editor), ''Studies in the Quantity Theory of Money'', Chicago: University of Chicago Press (1956)Press(1956).</ref>。
: ハイパーインフレの発生は通貨を媒介とした交換経済を麻痺させることや、不確実性の高まりによって、生産活動や投資への意欲を喪失させることで国民経済に重大な影響をもたらす。
: ハイパーインフレは主に、経済の提供可能な水準を超えて政府が[[シニョリッジ]]の獲得を図る時に発生する。この時、[[貨幣供給量]]が[[中央銀行]]にとって外生的に決まってしまい、もはや[[中央銀行]]は[[物価]]を抑えこむことが出来なくなる。シニョリッジ獲得のために貨幣を刷って名目貨幣残高を増やした場合、インフレを伴うのでシニョリッジは実質で見ると目減りすることになる。貨幣を刷るほどに、インフレによるこの目減りが加速度的に増加するため、政府が獲得可能な実質のシニョリッジには上限が存在する。この上限に達した状況から、政府がさらなるシニョリッジを求めて貨幣を刷った場合、インフレが一層昂進して政府は目的としたシニョリッジを確保することができない。それでますます貨幣を刷ってシニョリッジを獲得しようとすると、その結果インフレがさらに昂進して…、という悪循環に陥ることになる。これがハイパーインフレである。この種類のハイパーインフレは政府の政策が変更されるという予測が人々に形成されるまで継続する可能性がある<ref name="kogishiryo">[[矢野浩一]]「[http://dl.dropbox.com/u/2260564/2012/kiyushijyo/kinyu15.pdf ハイパーインフレとデフレ 〜合理的期待と政策レジーム]」講義資料</ref>。
: 実際にハイパーインフレが起こるのは敗戦や革命といった時期であることが多く、[[フランス革命]]のときに起こった[[アッシニア]]紙幣の増刷によるインフレを歴史上最初のハイパーインフレとする説もある<ref>[[浜田宏一]]・[[若田部昌澄]]・[[勝間和代]]『伝説の教授に学べ』</ref><ref>若田部昌澄 『もうダマされないための経済学講義』 光文社〈光文社新書〉、2012年、169頁。</ref>。金塊や銀塊などに通貨価値を固定する[[金本位制|本位制]]では基本的にハイパーインフレは発生しないのであるが、開戦などにより[[金本位制|本位制]]は停止されることが多く、このさい管理通貨制度に移行し戦時財政が野放図になってしまったり、敗戦により多額の賠償が発生する(惧れがある)場合、通貨信用は喪失され急激で一時的なハイパーインフレが発生する。
: 敗戦や革命以外においても、ある国の経済市場が信認を失うことでハイパーインフレが発生することがある。これは中南米などラテン諸国やロシア東欧諸国で発生した性質のもので、領域経済の成長を期待した域外諸国市場による投資が長年にわたり行われたものの、その成果が十分でなく投資に対する不信感・不安感が醸成された結果として当該国通貨が暴落し購買力を急速に失うという現象である。この場合の通貨暴落は市場による均衡過程であり、比較的短期間による急激な調整ののちインフレ率は安定する傾向にある。しかし19世紀から20世紀初頭の欧州ラテン諸国では国民の大量の移民や離散をまねき、長期的な経済の低迷やインフレの継続を招いた。
 
== 経済への影響 ==
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物価上昇率が預金金利を上回ると預貯金の価値を実質的に引き下げる。物価上昇率が貸出金利を上回った場合、インフレにより実質的な負債の価値が下がり、その結果実質的な返済負担が減る(住宅ローンなど)。
 
賃金も物価の上昇に伴って上昇するが、物価に比べると調整に遅れをとるため、実質賃金が下がり、雇用を増やしやすくするので失業率は下がる([[フィリップス曲線]])<ref>[http://diamond.jp/articles/-/30804 浜田宏一・内閣官房参与  核心インタビュー 「[[アベノミクス]]がもたらす金融政策の大転換 インフレ目標と日銀法改正で日本経済を取り戻す」] ダイヤモンド・オンライン [[2013年]][[1月20日]]</ref><ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/12839 「白川総裁は誠実だったが、国民を苦しめた」 浜田宏一 イェール大学名誉教授独占インタビュー] 東洋経済オンライン 2013年[[2月8日]]</ref>。
 
[[経済学者]]の[[若田部昌澄]]は「ハイパーインフレの例を俟つまでもなく、インフレ率が2ケタ以上に高くなるのは経済に悪影響を及ぼす。おそらく5%を超えると望ましくないだろう」と指摘している<ref>[http://shuchi.php.co.jp/article/563 日銀新総裁はゼロ金利に復帰を] PHPビジネスオンライン 衆知 [[2008年]][[5月8日]]</ref>。
 
経済学者の[[ジョセフ・E・スティグリッツ]]は「インフレに過大な関心を注ぐあまり、一部の国の中央銀行は、金融市場で起きている状況に無頓着になってしまった。資産バブルが無制約にふくらんでいくのを中央銀行が放置することにより経済が負担するコストに比べれば、緩やかなインフレによるコストなど微々たるものにすぎない」と述べている<ref>[http://diamond.jp/articles/-/7142 ジョセフ・スティグリッツ教授 特別寄稿 「もう同じ過ちは繰り返すな! 2009年に得た厳しい教訓」] ダイヤモンド・オンライン [[2010年]][[1月5日]]</ref>。
 
== 対策 ==
==== インフレーション対策の例 ====
* 中央銀行の[[政策金利]]や[[公定歩合]]の引き上げ
** 金利の引き上げによる通貨高<ref>[http://shuchi.php.co.jp/article/594 円高なくして成長なし] PHPビジネスオンライン 衆知 2008年[[9月16日]]</ref>
* 中央銀行の資産売却オペレーション
* 中央銀行の預金準備率引き上げ操作
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=== 局地的インフレーション ===
{{出典の明記|date=2014年2月|section=1}}
国単位でのインフレーションの他に、地域単位、都市単位でインフレ現象が起きることがある。現代的に問題になっているのは、[[国際連合平和維持活動]] (Peace(Peace-Keeping Operations : PKO) Operations:PKO)に伴うインフレーションである{{要出典|date=2011年6月}}。紛争地域の停戦後、平和維持のために派遣される各国の部隊は、経済が疲弊している所に急に現れる富裕層と同じである。そのため、駐屯地の周辺では、部隊が調達する生活物資・食料品を中心に価格上昇が起きてインフレーションとなり、紛争で困窮した周辺住民の生活を圧迫する。対策として部隊員の駐屯地外での購買活動抑制が行われており、PKO部隊は Price Keeping Operation も同時に行っていることになる。
 
日本では、[[明治]]以降の[[資本主義]]経済化の下で局地的なインフレーションが見られた。農業地域や未開拓地域([[北海道]])に[[工業]]・[[鉱業]]・巨大物流施設([[港湾]])が出来ると、急激な資本投下と人口の急増([[都市化]])とが発生し、生活物資の必要から局地的なインフレーションが起きた。そのため、物価安定を目的に日本銀行の支店や出張所が置かれた。日銀の支店・出張所の開設場所や開設時期は、その地域での経済活動に伴う局地的インフレ懸念と密接に関係している{{要出典|date=2011年6月}}。
 
== ハイパーインフレーションの例 ==
[[第一次世界大戦]]後にハンガリー(1922([[1922年]] - [[1924年]])、オーストリア(1922- [[1923年]])、ポーランド(1921([[1921年]] - 1924年)、ドイツ(1922- 1923年)で生じたハイパーインフレーションは「4大ハイパーインフレーション」とされている<ref name="syowakyoko31">[[岩田規久男]]編 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、 [[2004年]]、31頁。</ref><ref name="kogishiryo" />。このハイパーインフレが生じた共通の原因は、戦争後の賠償金支払いなどに伴う財政赤字の急膨張であり、不換紙幣である[[政府紙幣]]の発行による、財政赤字のファイナンスであった<ref name="syowakyoko31" />。これらのハイパーインフレは最終的には、独立した[[中央銀行]]の創設、均衡政府予算に向けての一連の措置、[[金本位制]]の復帰を通じて終息した<ref name="syowakyoko31" />。中央銀行が財政赤字をファイナンスすることを拒否し、政府が財政赤字を民間への国債の売却或いは外国からの借入れでファイナンスすることを決めた直後に終息した<ref name="syowakyoko171">岩田規久男編 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、 2004年、171頁。</ref><ref name="kogishiryo" />。
 
ほかに歴史的に有名なハイパーインフレの例としてアルゼンチン、ジンバブエなどがある<ref name="kogishiryo" />。
 
=== ポーランド ===
{{Main|ズウォティ}}
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=== ドイツ ===
[[ファイル:100-Billionen-Geldschein-2.jpg|thumb|[[1924年]]に発行された100兆[[パピエルマルク]]紙幣。前年末に行われた1:1兆のデノミネーションにより、100[[レンテンマルク]]の緊急紙幣として使用された。]]
{{mainMain|{{仮リンク|ヴァイマル共和政のハイパーインフレーション|en|Hyperinflation in the Weimar Republic}}|マルク (通貨)}}
 
[[1914年]]、ドイツは第一次世界大戦勃発後に[[金本位制]]から離脱、[[マネーサプライ]]は戦時中4倍に膨れ上がった<ref name="money82">日本経済新聞社編 『マネーの経済学』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2004年、82頁。</ref>。第一次世界大戦後、ドイツ経済は戦時体制と長らく続いた[[ドイツ封鎖]]によって疲弊していた。さらに[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]によって、1320億[[金マルク]]の[[第一次世界大戦の賠償|賠償金]]支払いが課された。これはドイツの支払い能力を大きく上回っており、また外貨で支払うことが要求されていたため、賠償金の支払いは滞った。[[1923年]]1月11日、[[フランス]]・[[ベルギー]]は[[イギリス]]の反対を押し切り、ドイツ屈指の工業地帯であり地下資源が豊富な[[ルール地方]]を[[ルール占領|占領]]した。占領に対し[[ヴァイマル共和政|ドイツ政府]]は受動的な抵抗運動を呼びかけ、ストライキに参加した労働者の賃金は政府が保証した。既に第一次世界大戦中よりドイツではインフレーションが進行していたが、抵抗運動に伴う財政破綻によって致命的な状況へと導かれ、ルール工業地帯の供給能力を失ったために、空前のハイパーインフレが発生した。同年6月までにマネーサプライは対戦前の二千倍に増加し、一般物価水準は25000倍を超えていた<ref name="money82" />。[[マルク (通貨)|マルク]]は1年間で対ドルレートで7ケタ以上も下落するインフレーションとなり、パン1個が1兆マルクとなるほどの状況下で、100兆マルク紙幣も発行されるほどであった。このためこの時期のマルクは「[[パピエルマルク]](紙のマルク)」と呼ばれる。また[[アドルフ・ヒトラー]]らが[[ミュンヘン一揆]]を起こしたのは、ハイパーインフレの危機が収束するかしないかという時期であり(1923年11月8日)<ref>若田部昌澄 『改革の経済学』 ダイヤモンド社、2005年、233頁。</ref>、左派による地方政府掌握が発生するなど、混乱はドイツ中に広がっていた。
 
[[1923年]][[10月15日]]、[[ヒャルマル・シャハト]][[ドイツ帝国銀行]]総裁主導により、[[レンテンマルク]]導入が発表されたことでインフレーションはほぼ停止し、物価も安定した(レンテンマルクの奇跡)<ref name="居城弘">{{Cite journal|和書|author=居城弘|title=第一次大戦後のドイツ資本主義における外資導入と中央銀行政策()|url=http://ci.nii.ac.jp/naid/110007665720|format=PDF|journal=靜岡大学法経研究|publisher=靜岡大学|issue= 23(1),23(1)|naid=110007665720|year=1974|pages=pp.1-22}}、14-21p</ref><ref>岩田規久男 『インフレとデフレ―不安の経済学』 講談社〈講談社新書〉、1990年、27-28頁。</ref><ref>原田泰・神田慶司 『物価迷走 ――インフレーションとは何か』 角川書店〈角川oneテーマ21〉、2008年、204頁。</ref>。レンテンマルクは不動産や工業機械を担保とするレンテン債権と兌換できる、{{仮リンク|レンテン銀行|en|Deutschen Rentenbank}}が発行する銀行券であり、1金マルクと同じ価値を持つとされていたが、法定通貨ではなかった<ref name="居城弘"/>。やがて1レンテンマルクは1兆パピエルマルクと交換されることになり<ref>日本経済新聞社編 『マネーの経済学』 日本経済新聞社〈日経文庫〉、2004年、84頁。</ref>、事実上のデノミネーションが行われた<ref name="居城弘"/>。翌1924年にはアメリカが賠償金支払いプロセスに参加し、ドイツに融資を行う[[ドーズ案]]が採択された。この資金を元に[[ライヒスマルク]]が発行され、ドイツは戦時中以来離脱していた金本位制に復帰した<ref name="居城弘"/>。ドイツは相対的安定期と呼ばれる経済回復期を迎え、[[ヴァイマル共和政]]が倒れることはなかった。
 
しかし[[1929年]]の[[世界恐慌]]によってドイツ経済は再び崩壊した。インフレの再来を怖れる民衆や財界は大規模な財政出動に反対していた<ref>{{Cite journal|和書|author=井代彬雄|title=ナチス体制初期の労働政策|url=http://ci.nii.ac.jp/naid/110004084682|format=PDF|journal=大阪教育大学紀要. II, 社会科学・生活科学|publisher=大阪教育大学|issue= 21|naid=110004084682|year=1972|pages=pp.139-156}}、143p</ref>。[[ハインリヒ・ブリューニング]]内閣はこの状況に対してデフレーション政策で臨んだが<ref>{{Cite journal|和書|author=大泉英次 |title=ドイツ信用恐慌とブリュ-ニング政策 |date=1976-08 |publisher=北海道大学經濟學部 = HOKKAIDO UNIVERSITY SAPPORO,JAPAN |journal=経済学研究 |volume=26 |number=3 |naid=120000950722 |pages=p537-587 |ref=harv}}</ref>、状況は改善されなかった。1933年には失業率は、44%に達した<ref>岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、73頁。</ref>。旧来の政治勢力は民衆からの期待を失い、ヴェルサイユ体制打破を掲げる[[ナチ党の権力掌握]]を招いた。[[ナチス・ドイツ]]体制期においては政府支出の拡大、[[メフォ手形]]など非公式なものを含む政府債の拡大政策が行われたが、これらの累積は貨幣市場への圧迫をもたらすものであった<ref>{{Cite journal|和書|author=村上和光|title=ナチス経済の展開と景気変動過程()現代資本主義論の体系化(10)(10)|url=http://ci.nii.ac.jp/naid/120001342298|format=PDF|journal=金沢大学経済学部論集|publisher=金沢大学経済学部|issue=27(1)27(1)|naid=120001342298|year=2007|pages=pp.67-102|ref=harv}}88-90p</ref>。ドイツの経済当局は賃金や物価の上昇について厳しく押さえつけることでインフレを抑制しようとした<ref>{{Cite journal|和書|author=村上和光|title=ナチス経済の展開と景気変動過程()現代資本主義論の体系化(10)(10)|url=http://ci.nii.ac.jp/naid/120001342298|format=PDF|journal=金沢大学経済学部論集|publisher=金沢大学経済学部|issue=27(1)27(1)|naid=120001342298|year=2007|pages=pp.67-102|ref=harv}}、73-78p</ref>。
 
=== オーストリア ===
{{Main|クローネ}}
第一次世界大戦の敗戦国であるオーストリアは、その戦後賠償金をファイナンスするために政府・中央銀行が貨幣を発行し、シニョリッジを利用した事が、ハイパーインフレの引き金を引いた<ref>[[田中秀臣]] 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社現代新書〉、2004年、189頁。</ref>。これによって、オーストリアは月率50%、年率1000%をはるかに上回った<ref>田中秀臣 『経済論戦の読み方』 講談社〈講談社現代新書〉、2004年、178頁。</ref>。オーストリアのハイパーインフレは1922年8月に停止した<ref name="syowakyoko171" />。
 
{{Main|クローネ}}
 
=== ハンガリー ===
{{mainMain|{{仮リンク|ハンガリー・コロナ|en|Hungarian korona}}|ペンゲー}}
第一次世界大戦後にオーストリアから独立したハンガリーにも激しいインフレが襲った。独立直後に導入された{{仮リンク|ハンガリー・コロナ|en|Hungarian korona}}の通貨価値は激しく下落し、1925年の[[ペンゲー]]導入まで続いた。
 
第二次世界大戦後にはより激しいハイパーインフレが発生した。ペンゲーは後期の16年間で貨幣価値が1[[垓]]3000[[京 (数)|京]]分の1になったが、20桁以上のインフレーションは1946年前半の半年間に起きたものである。大戦後、1945年末まではインフレ率がほぼ一定であり、対ドルレートは[[指数関数]]的増大にとどまっていたが、1946年初頭からはインフレ率そのものが指数関数的に増大した。別の表現でいえば、物価が2倍になるのにかかる時間が、1か月、1週間、3日とだんだんと短くなっていったということである。当時を知るハンガリー人によると、一日で物価が2倍になる状況でも市場では紙幣が流通しており、現金を入手したものは皆、すぐに使ったという<ref name="takayasu">[[高安秀樹]]ら(2002)(2002)</ref>。
 
1946年に印刷された10[[垓]]<ref>1京は1兆の1万倍(10の16乗)、1垓は1京の1万倍(10の20乗)。</ref>ペンゲー紙幣(紙幣には10億兆と書かれている)は歴史上の最高額面紙幣であったが、発行はされていない。実際に発行された最高額面紙幣は1[[垓]]<ref>1京は1兆の1万倍(10の16乗)、1垓は1京の1万倍(10の20乗)。</ref>ペンゲー紙幣(紙幣には1億兆と書かれている)である。このハンガリーのインフレは、最悪のインフレーションとして[[ギネス・ワールド・レコーズ|ギネスブック]]に記録されている。1946年8月、ハンガリーのハイパーインフレは[[フォリント]]の導入によって収束した。
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=== アルゼンチン ===
{{See also|アウストラル}}
[[1988年]]、経済成長の後退からハイパーインフレが発生。[[1989年]]には対前年比50倍の物価上昇が見られ、[[1992年]]に[[ドルペッグ制]]の[[アルゼンチン・ペソ]]を導入するまで、経済が大混乱となった。庶民の[[タンス預金]]は紙屑同然となった。
 
{{See also|アウストラル}}
 
=== ブラジル ===
1986年から1994年までの8年間に、2.75兆分の1のハイパーインフレーションが生じた。
 
{{Main|レアル}}
1986年から1994年までの8年間に、2.757500億分の1のハイパーインフレーションが生じた。
 
=== メキシコ ===
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=== ジンバブエ ===
{{See also|ジンバブエ・ドル}}
[[ジンバブエ]]では独立後から旧支配層に対して弾圧的な政策を実施。治安の悪化も重なり、富裕層が海外へ流出する結果となった。こうした傾向はインフレーションに拍車をかけ、[[2000年代]]に入ると経済が機能不全に陥る猛烈なインフレーションに直面することとなった。ジンバブエ準備銀行は[[2008年]]7月時点で年率2億3100万%に達したと発表、同8月に通貨を10桁切り下げるデノミネーションを行った。その後のインフレーションの影響で[[9月30日]]に2万[[ジンバブエ・ドル]]の発行など、デノミネーション後に20種類の紙幣を発行し、同[[12月19日]]に100億ジンバブエ・ドル紙幣を発行した。現在この8年間で23桁以上のインフレーションとなっていて、うち2008年だけで約14桁、9月から3か月で約10桁のインフレーションとなった。さらに[[2009年]][[2月2日]]、1[[兆]]ジンバブエドルを1ジンバブエドルに、桁数にして12桁を切り下げる措置を講じた。結局、同年2月にジンバブエは公務員給与を米ドルで支払うと発表し、ジンバブエ・ドルが公式には流通しなくなり、[[4月12日]]にはジンバブエドルの流通停止と、[[アメリカ合衆国ドル|アメリカ・ドル]]および[[ランド (通貨)|南アフリカランド]]など外国通貨による国内決済への移行を発表することを余儀なくされた。その後、外貨の使用に伴ってインフレは沈静化した。
 
ジンバブエのインフレーションの特徴としては、ネット社会によって世界中の人々が素早く物価上昇に関する情報が入手できた点が挙げられる。
 
{{See also|ジンバブエ・ドル}}
 
=== イラン ===
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== ハイパーインフレ懸念について ==
{{seeSee also|インフレターゲット#岩石理論|インフレターゲット#設定数値について|量的金融緩和政策#ハイパーインフレ懸念について}}
経済学者の[[飯田泰之]]は「ハイパーインフレが起きる国は二通りだけである。通貨発行主体の継続性が疑われた場合、例えば外国に占領されるんじゃないかという場合と、すでに占領されてしまった場合。つまり、国が崩壊する、革命、戦争という状況下に起こりえるものである」と指摘している<ref>[http://nikkan-spa.jp/289171 「○○だからデフレ」論を喝破する【三橋貴明×飯田泰之】Vol.2] 日刊SPA! 2012年9月14日</ref>。
 
経済学者の[[若田部昌澄]]は「ハイパーインフレが先進国で起きるのは稀である。ハイパーインフレは、社会が混乱状態に陥るときに起きやすい」<ref>若田部昌澄 『もうダマされないための経済学講義』 光文社〈光文社新書〉、2012年、173頁。</ref>
 
{{see also|インフレターゲット#岩石理論|インフレターゲット#設定数値について|量的金融緩和政策#ハイパーインフレ懸念について}}
 
== ブレークイーブン・インフレ率 ==
'''ブレークイーブン・インフレ率'''(break-even inflation rate)とは、物価が今後どの程度上昇すると一般的に予想されているかを表す'''インフレ期待'''(inflationary expectations)を測る代表的な指標である<ref>[http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324500504578389842185812264.html 【WSJで学ぶ経済英語】第76回 ブレークイーブン・インフレ率] WSJ.com 2013年4月1日</ref>。国債と[[インフレ連動債]]との利回りの差を数値化したものである(国債の利回り-インフレ連動国債の利回り)。市場が推測する期待インフレ率を表す。この値がプラスならインフレ、マイナスならデフレを市場が期待していることになる<ref>[http://www.mizuho-am.co.jp/glossary/ha/word/17 みずほ投信投資顧問 ブレーク・イーブン・インフレ率]</ref><ref>[http://www.bb.jbts.co.jp/marketdata/marketdata05.html 日本相互証券 BEIの推移]</ref>。
 
経済学者の[[岩田規久男]]は「期待インフレーション率は、インフレ連動債と普通の[[国債]]との利回り差でだいたいわかる」と指摘している<ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/10199 『世界同時不況』を書いた岩田規久男氏に聞く] 東洋経済オンライン 2009年4月28日</ref>。
 
インフレ連動債のような特別に設計された金融資産が存在しない場合には、予想インフレ率を直接的に観測できない<ref>岩田規久男編 『昭和恐慌の研究』 東洋経済新報社、 2004年、195頁。</ref>。
 
== 参考文献 ==