「カミーユ・クローデル」の版間の差分

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ローズは大きな心の安らぎの存在であり、カミーユは若さと美貌と才能に満ち溢れた刺激的な存在であったため、ロダンは2人のどちらかを選ぶことはできなかった。その中でカミーユは20代後半にロダンの子を妊娠するも中絶し、多大なショックを受ける。やがて2人の関係は破綻を迎え、ロダンは妻ローズのもとへ帰っていく。徐々にカミーユは心を病み、40代後半に[[精神疾患]]を発症する。
 
[[1913年]][[3月10日]]、48歳の時に家族によってパリ郊外の[[ヌイイ=シュル=マルヌ]]にある[[ヴィル・エヴラール精神病院]]に入れられた。その後[[第一次世界大戦]]の影響で南仏の[[モントヴェルク精神病院]]に移動させられ、生涯をそこで過ごした。母ルイーズはカミーユの芸術に理解を示さなかったため、2人の間には生涯確執が消えることはなかった。そのためルイーズと妹は精神病院見舞いに行くことは一度もなく、ポールが数年に1度見舞うのみであった。しかし弟も結婚し、外交官として任地の[[上海市|上海]]へ向かった後は姉と会う回数が激減した。
 
しかしポールも結婚し、外交官として任地の[[上海市|上海]]へ向かったは姉と会う回数が激減した。晩年は毎朝決まって病院構内の礼拝堂に向かい祈った。カミーユは誰とも口を聞こうとせず、一人自己の世界に閉じこもった。また、ロダンへの憎しみと周囲の患者を見下すことでかろうじて自己の精神の孤高を保った。年のみすぼらしい身なりで痩せこけ、精彩を欠いた姿に面会したポールは愕然としたという。
 
[[第二次世界大戦]]中の[[1943年]]、家族に看取られることなく亡くなった。78歳没。故郷に帰ることを終生願ったが叶うことはなかった。