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新年度(1996年度)の最初のタイトル防衛戦(七冠王として2つ目の防衛戦)は、小学生時代からのライバル(上述)でタイトル戦初登場の[[森内俊之]]との名人戦(第54期)であり、4勝1敗で防衛に成功した。フルセットの戦いではなかったが、「(森内に)色々な作戦を持って来られたり、封じ手時刻ぎりぎりで指されたりして、ハードな名人戦だった」という<ref>[[将棋マガジン]](日本将棋連盟)1996年8月号でのインタビュー</ref>。これで名人3連覇となったが、永世名人資格(通算5期)までの残り2期獲得まで12年もかかることになる。
 
=== 七冠から一冠へ陥落、再び四冠 ===
次の防衛戦(七冠王としての3つ目の防衛戦)は、2期連続で伏兵・三浦弘行五段<ref group="注">羽生の全冠独占後に『[[将棋マガジン]]』(日本将棋連盟)の中で「羽生から最初にタイトルを奪取するのは誰?」というアンケートが行われ、大抵の人が谷川浩司や佐藤康光の名を挙げた中、三浦と答えたのは僅か4人であった。</ref>を挑戦者に迎えた第67期[[棋聖戦 (将棋)|棋聖戦]]であった。フルセットの戦いとなったが、最終第5局で[[相掛かり]]2八飛車引き<ref group="注">相掛かりの先手で、飛車を「浮き飛車」(2六飛)にせず「引き飛車」(2八飛)にする指し方は当時としては珍しかったため、[[力戦]]と呼ばれた。しかし、これをきっかけに、プロ間で流行するようになる。</ref>の趣向を見せた三浦に敗れ、'''七冠独占は167日で幕を降ろした'''([[1996年]][[2月14日]]=王将奪取日 - [[7月30日]] = 棋聖失冠日)<ref group="注">{{要出典範囲|七冠独占が崩れた羽生は「いつかはこういう日が来ると覚悟してはいましたが、現実となるとちょっとつらい部分もあります」と語っている|date=2011年4月}}。</ref>。
 
=== 七冠以後 ===
三浦から棋聖位を奪われたのと同年の第9期竜王戦と、翌[[1997年]]の第55期名人戦という2つのビッグタイトル戦で、いずれも谷川に敗れ四冠に後退。この名人戦で谷川は名人位獲得通算5期となり、永世名人(十七世)の資格を得た。[[将棋界#獲得賞金と対局料|獲得賞金・対局料ランキング]]では羽生は1位が‘指定席’であるが、1997年は谷川竜王・名人にその座を譲った。
 
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[[2003年]]度、第51期[[王座戦]]では、10代で羽生より一回り以上若い挑戦者・[[渡辺明 (棋士)|渡辺明]]五段を迎える。1勝2敗とされてからの2連勝で辛くも防衛。最終第5局では、終盤で勝ちが確実となったときに手が激しく震え、駒をまともに持てなかった。
 
同年度の竜王戦、王将戦、そして翌[[2004年]]度の名人戦で、いずれも森内に立て続けに3つのタイトルを奪われ、永世竜王資格獲得(竜王通算7期)と永世名人資格獲得(名人通算5期)の両方を阻止される。竜王戦は自身初のタイトル戦ストレート負けであった。これで羽生のタイトルは王座だけとなる。羽生が一冠のみとなったのは11年9か月ぶりのことである。この時点で、タイトル保持者は、森内竜王・名人(王将と合わせて三冠)、谷川王位・棋王(二冠)、佐藤(康)[[棋聖戦 (将棋)|棋聖]](一冠)、羽生王座(一冠)となった。しかし、その2004年度中に次々とタイトル挑戦権を得る。まず王位戦で谷川王位に挑戦して奪取し、王座一冠の時期は89日で終わる(2004年6月11日 - 2004年9月8日)。さらに王座戦で森内の挑戦を退けて防衛した後、冬には王将戦と棋王戦で、森内王将・谷川棋王それぞれにストレート勝ちし、あっという間に再び7タイトルの過半数の四冠を占める。また

=== 永世名人獲得成功と永世竜王獲得失敗 ===
2004年度は、A級順位戦でも7勝2敗で1位となり森内名人への挑戦権を得るが、その名人戦(2005年4月 - 6月)ではフルセットの戦いの末に敗れ、前年に続き永世名人の資格獲得を逸する。結果的に、この2年後、森内は羽生より一歩先に永世名人に到達することとなる。
 
2005年度のA級順位戦では8勝1敗の成績だったにもかかわらず同星の谷川とのプレーオフとなり、結果敗れて名人挑戦を逃した。8勝して名人挑戦できなかったのは、順位戦史上、唯一のケースである<ref group="注">この谷川とのプレーオフの一局は結果的に(羽生が谷川の玉を)「詰ましにいって詰まなかった」ものだったが、内容は高く評価され、第34回[[将棋大賞]]で創設されたばかりの「名局賞」を、谷川とともに受賞している。</ref>。
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2007年12月20日、第66期A級順位戦6回戦・対[[久保利明]]戦で勝ち、史上8人目の'''通算1000勝'''([[特別将棋栄誉賞]])を史上最年少、最速、最高勝率で達成。その2か月後の2008年2月28日には、第57期王将戦で防衛に成功し、'''史上2人目の棋戦優勝100回'''(タイトル獲得68期、一般棋戦優勝32回)を達成。
 
2008年6月17日、第66期名人戦第6局で森内名人を破り、名人位と三冠に復帰。通算5期獲得により'''永世名人''''''十九世名人''')の資格を得、史上初の、いわゆる「'''永世六冠'''」(永世名人、永世棋聖、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将)を達成。大山康晴と中原誠の「永世五冠」を抜いた。そして、残る1つの永世位獲得をかけ、第21期竜王戦で渡辺明竜王への挑戦権を得る。渡辺が勝てば連続5期で初代永世竜王、羽生が勝てば通算7期で初代永世竜王という、タイトル戦史上初の‘初代永世位決定戦’となった。七番勝負は羽生が開幕3連勝。しかし、そこから3連敗してフルセットとなり、2008年12月17日 - 18日に[[山形県]][[天童市]]で行われた最終第7局でも渡辺に敗れる。羽生は'''将棋界初の3連勝4連敗'''を喫して奪取を逃した<ref group="注">[[囲碁]]のタイトル戦では3連敗4連勝は、すでに何度も発生していた。</ref>。なお、この最終局は矢倉の戦形からお互い早めに動く展開で、中・終盤のねじり合いの内容が素晴らしく、将棋大賞の名局賞受賞局となった。羽生にとっては同賞創設から3年連続3回目の受賞で、いずれも敗局での受賞である。
 
=== 大山の記録を超えて ===
2010年6月1日、第51期王位戦白組プレーオフで[[戸辺誠]]に勝ち、通算1100勝を達成。同年、'''タイトル戦登場100回目'''となった第81期棋聖戦は、深浦を3勝0敗のストレートで下して防衛し、記録に花を添える([[2010年]][[6月26日]])。また、第58期王座戦では藤井猛を相手に3勝0敗で防衛(2010年[[9月29日]])。'''同一タイトル19連覇'''、'''同一タイトル6回連続ストレート防衛'''という2つの歴代1位の記録を樹立した<ref group="注">2005年度、第53期王座戦で佐藤(康)の挑戦を退け王座戦14連覇を果たした時点で大山康晴が名人戦で樹立した同一タイトル連覇記録(1959年 - 1971年、名人13連覇)を抜いた。</ref>。
 
第58回(2008年度) - 第60回(2010年度)の'''NHK杯戦'''で'''史上初の3連覇'''。同棋戦での通算優勝回数を一気に9へと伸ばし、大山康晴の記録(8回)を抜き去って歴代単独トップに立つ。なお、第59回・第60回の決勝の相手は、2年続けて「関西若手四天王」<ref>2010年2月13日放送の「[[囲碁・将棋ジャーナル]]」、および、2010年2月14日放送の[[NHK杯テレビ将棋トーナメント]]。</ref><ref>[http://astand.asahi.com/magazine/wrnational/2011060800010.html?iref=webronza 「羽生世代がもたらした、速さと若さの時代」(倉沢鉄也)WEBRONZA+社会・メディア - WEBマガジン - 朝日新聞社(Astand)]</ref>の一人と呼ばれる[[糸谷哲郎]]五段であった。
 
2011年、森内俊之を挑戦者に迎えた第69期名人戦で3連敗後3連勝するも、最終局で敗れ失冠。しかし、同年の第52期王位戦で[[広瀬章人]]王位に挑戦し、4勝3敗で奪取([[2011年]][[9月13日]])して'''通算タイトル獲得数'''を'''80期'''とし、40歳にして大山康晴の持つ'''歴代1位'''の記録に並んだ。しかし、記録更新がかかった第59期王座戦で挑戦者の渡辺まさかの3連敗ストレート負けを喫し、'''1992年以来19期20続で保持した王座から陥落'''、大記録達成もならなかった覇を逸する。なお、同年、初出場の第19回[[富士通杯達人戦]](非公式戦)で優勝している。
 
2012年2月11日、第5回[[朝日杯将棋オープン戦]]で、2年ぶり2度目の優勝。第70期(2011年度)順位戦で史上3人目の'''A級順位戦全勝優勝'''を達成。第61回(2011年度)のNHK杯戦では3月18日放送の決勝で渡辺を破り、自身の連覇記録をさらに更新する'''NHK杯戦史上初の4連覇'''を果たすとともに通算優勝回数10回を達成。将棋界では初の'''名誉NHK杯選手権者'''の称号を獲得した<ref group="注">囲碁界では[[坂田栄男]]が名誉NHK杯選手権者の称号を獲得している</ref><ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/2012/03/nhk-5.html 羽生善治二冠、名誉NHK杯に! 日本将棋連盟ホームページ]</ref>。これによって'''七つ目の永世称号の獲得'''となり、自身の記録を更新する'''歴代最多記録'''となった。
2012年2月の第70期順位戦第8局で谷川浩司を破り8勝0敗。1敗が不在(この時点での2位は渡辺竜王の6勝2敗)だったため、最終局を待たずして森内俊之名人への挑戦権を獲得。さらに3月2日の順位戦最終局では郷田真隆九段を破り史上3人目となる'''A級順位戦全勝'''を達成した。2月11日、第5回[[朝日杯将棋オープン戦]]で、2年ぶり2度目の優勝。
第61回(2011年度)のNHK杯戦では3月18日放送の決勝で渡辺明を破り、自身の連覇記録をさらに更新する'''NHK杯戦史上初の4連覇'''を果たすとともに通算優勝回数10回を達成。将棋界では初の'''名誉NHK杯選手権者'''の称号を獲得した<ref group="注">囲碁界では[[坂田栄男]]が名誉NHK杯選手権者の称号を獲得している</ref><ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/2012/03/nhk-5.html 羽生善治二冠、名誉NHK杯に! 日本将棋連盟ホームページ]</ref>。これによって'''七つ目の永世称号の獲得'''となり、自身の記録を更新する'''歴代最多記録'''となった。
この時点で通算優勝回数が124回(タイトルと一般棋戦、非公式戦の合算)となり、大山康晴の最多記録に並ぶ。
 
2012年、第70期(2012年)名人戦で森内俊之に敗北(2勝4敗)し、。A級全勝者挑戦の名人復位と記録更新に奪取失敗するもは史上初。しかし、直後の第83期棋聖戦で新鋭・[[中村太地]](タイトル初挑戦)を3連勝で退けタイトルを防衛するとともに、'''通算タイトル獲得数'''を'''81期'''として'''歴代単独1位'''となる<ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/2012/07/post-588.html 羽生、通算タイトル獲得数歴代単独1位に 日本将棋連盟ホームページ]</ref>。8月17日の対局(銀河戦決勝収録・対[[阿久津主税]]七段)で勝利し、史上5人目の'''通算1200勝'''を史上最年少、最速、最高勝率で達成<ref>[http://www.shogi.or.jp/topics/2012/08/1200-1.html 羽生二冠、1200勝を達成! 日本将棋連盟ホームページ]</ref>。

2012年度はさらに藤井猛を退けて王位を防衛し、渡辺明にから前年奪われた王座へ復位遂げ、'''通算タイトル獲得数'''を'''83期'''にまで伸ばした。王座奪還を果たした。その最終第4局は千日手指し直しの末深夜2時までもつれる熱戦で、第40回将棋大賞の名局賞に選ばれた(羽生にとっては初の勝利対局での受賞となる)。
 
第71期(2012年度)A級順位戦で優勝し、2年連続で名人挑戦。その第71期(2013年度)名人戦は森内との3年対決となったが、1勝4敗で敗退。渡辺の挑戦を受けた第84期(2013年度)棋聖戦は'''史上初の三冠同士対決'''となったが3勝1敗でタイトルを防衛し、6連覇を達成。
 
第61期(2013年度)王座戦で中村太地に対して1勝2敗からの2連勝で辛くも防衛。これにより、'''同一タイトル通算獲得数'''を'''歴代単独1位'''の'''21期'''とする(従来の記録は大山の王将通算20期)。
 
第63期(2013年度)王将戦で渡辺王将への挑戦権を獲得。第72期(2013年度)A級順位戦で優勝し、森内名人への挑戦権を獲得。
2013年3月1日、第71期順位戦最終局で橋本崇載を破り、8勝1敗の成績で2年連続の名人挑戦権獲得。森内俊之との3年連続の名人戦7番勝負に挑むも、1勝4敗で敗退。渡辺明の挑戦を受けた第84期棋聖戦は'''史上初の三冠対決'''となったが3勝1敗でタイトルを防衛し、6連覇を達成。これにより'''通算公式戦優勝回数'''が'''歴代単独1位'''の'''125回'''となる。第54期王位戦で[[行方尚史]]を退けて防衛。第61期王座戦で[[中村太地]]を退けて防衛し、王座戦の'''同一タイトル通算獲得数'''を'''歴代単独1位'''の'''21期'''とした。また、翌年の2014年2月に行われた第72期順位戦第8局一斉対局で、深浦康市に敗れはしたが、最終局を待たずに4年連続、森内俊之名人への挑戦権を獲得した(対深浦戦終局前に、渡辺明対三浦弘行との対局が早く終局し、結果は今期2位の渡辺が敗れたため、現時点で3敗目を喫し、2勝差は変わらず、最終局で仮に羽生が郷田に敗れても、成績1位は変わらない)。
 
== 棋風・評価 ==