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'''会計年度'''(かいけいねんど、fiscal year)は、公共機関や民間企業の収入及び支出を整理分類し、その状況を明らかとするために設けられた一定期間([[年度]]の一種)。単に'''年度'''と略称されることもある。

== 概要 ==
[[企業会計]]における「[[会計期間]]」と同じ意味であり、'''決算期'''とも呼ばれる。また、年度の最後の月を'''決算月'''、決算月の末日を'''決算日'''と呼び、例えば3月が決算月の場合の会計年度を「3月決算」と表すことがある。英語ではFiscal YearやFinancial Year、FYと略されることが多く、FY2010 1H(fiscal year 2010 first half)とは[[2010年]]前半の意味。

同じ日付であっても、決算月や決算日によって何年度となるかは変わる。例えば、決算月が3月であれば[[2008年]]2月は(2008年度ではなく)[[2007年]]度である(詳しくは[[年度]]を参照)。
 
英語ではFiscal YearやFinancial Year、FYと略されることが多く、FY2010 1H(fiscal year 2010 first half)とは[[2010年]]前半の意味。
 
== 意義 ==
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== 始期と終期 ==
公共機関における会計年度の始期と終期は、国によって異なる。以下に主な国の例を列挙する。
公共機関における会計年度の始期と終期は、国によって異なる。暦年と同一の1月 - 12月制を採用している国は、[[大韓民国|韓国]]・[[フランス]]・[[ドイツ]]・[[オランダ]]・[[ベルギー]]・[[スイス]]・[[ロシア]]・[[中華人民共和国]]・南米諸国などがある。日本と同じく4月 - 3月制を採用しているのは、[[イギリス]]・[[インド]]・[[パキスタン]]・[[デンマーク]]・[[カナダ]]などである。7月 - 6月制を採用している国には、[[ノルウェー]]・[[スウェーデン]]・[[ギリシア]]・[[フィリピン]]・[[オーストラリア]]などがある。また、10月 - 9月制を採用しているのは、[[アメリカ合衆国]]・[[タイ王国]]・[[ミャンマー]]・[[ハイチ]]などである。
{| class="wikitable" style="font-size:90%;"
=== 日本の公共機関 ===
; !会計年度独立の原則
日本の公共機関における会計年度は4月 - 3月制である(国については[[財政法]]第11条、自治体については[[s:地方自治法 第二編 第九章 財務#208|地方自治法第208条]])。[[明治維新]]直後は当初は10月 - 9月制(明治2年([[1869年]])9月 - )であったが、以後暦年制(明治5年([[1872年]])11月 - )を取ったり、7月 - 6月制([[1876年]](明治7年)12月 - )に変更したりして混乱を生じたが、中央政府では[[1884年]](明治17年)10月(太政官達89号)から、道府県(後に都も)は[[1890年]](明治23年)5月から、市町村は[[1889年]](明治22年)4月から4月 - 3月制を導入し(それ以前は7月 - 6月制だった)、以後変更は行われていない。4月 - 3月制の導入は、当時の主要税目だった[[地租]]徴収に最も好都合であったためとされている。なお、「会計年度」という言葉は無かったものの、国家の会計を1年間で区切る方法は、[[律令制|律令国家]]の段階から存在していたとみられ、[[7世紀]]末期には1月 - 12月制(いずれも[[旧暦]])が導入され、これに基づいて租税の納付・輸送、監査([[勘会]])、[[官司]]からの請求と実際の予算配分などが実施されていた<ref>梅村喬『日本古代財政組織の研究』(吉川弘文館、[[1989年]]) ISBN 978-4-642-02236-1 P4・52-56</ref>。
!採用国
|-
|1月 - 12月制
|[[中華人民共和国]]・[[大韓民国|韓国]]・[[フランス]]・[[ドイツ]]・[[オランダ]]・[[ベルギー]]・[[スイス]]・[[ロシア]]・南米諸国など
|-
|4月 - 3月制
|[[日本]]・[[インド]]・[[パキスタン]]・[[イギリス]]・[[デンマーク]]・[[カナダ]]など。
|-
|7月 - 6月制
|[[フィリピン]]・[[ノルウェー]]・[[スウェーデン]]・[[ギリシア]]・[[オーストラリア]]など
|-
|10月 - 9月制
|[[タイ王国]]・[[ミャンマー]]・[[アメリカ合衆国]]・[[ハイチ]]など
|}
 
=== 日本の公共機関 ===
その後、会計年度の始期・終期を変更しようとする議論が数回提起されているが、いずれも見送られている。[[1972年]]([[昭和]]47年)には当時の[[田中角栄]]首相が会計年度の暦年制移行をうったえたが、結局、旧[[大蔵省]]などの反対により暦年制への移行は実施されなかった。
「会計年度」という言葉は無かったものの、国家の会計を1年間で区切る方法は、[[律令制|律令国家]]の段階から存在していたとみられ、[[7世紀]]末期には「[[旧暦]][[1月 (旧暦)|1月]] - 旧暦[[12月 (旧暦)|12月]]制」が導入され、これに基づいて租税の納付・輸送、監査([[勘会]])、[[官司]]からの請求と実際の予算配分などが実施されていた<ref>梅村喬『日本古代財政組織の研究』(吉川弘文館、[[1989年]]) ISBN 978-4-642-02236-1 P4・52-56</ref>。
 
明治政府における「会計年度」は、[[明治元年]]([[1868年]])においては、従来の慣例に従って「旧暦1月 - 旧暦12月制」だった<ref name="Meiji83">{{PDFlink|[https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/11753/1/horitsuronso_83_2-3_97.pdf 会計年度と財政立憲主義の可能性 -松方正義の決断-]}}([[明治大学]]「法律論叢 第83巻 第2・3合併号」 2011年2月)</ref>。
; 会計年度独立の原則
 
: 各会計年度における歳出は、その年度の歳入をもつて、これに充てなければならない(地方自治法第208条 2項)。
近代[[大蔵省]]が[[明治2年]][[7月8日 (旧暦)|7月8日]]([[1869年]][[8月15日]])に創立すると、同年[[9月 (旧暦)|旧暦9月]]に「金穀出納ノ実計ニ適合セス」として、会計年度は[[新米と古米|新米の収穫期]]に合わせた「[[10月 (旧暦)|旧暦10月]] - 旧暦9月制」と決められ、同年より導入された<ref name="Meiji83"/>。
 
[[明治5年]]([[1872年]])[[10月 (旧暦)|旧暦10月]]には、旧暦([[太陰太陽暦]])から[[新暦]]([[グレゴリオ暦]])への[[改暦]]に合わせて「[[1月]] - [[12月]]制」に変更するとし、明治6年([[1873年]])1月から実施した<ref name="Meiji83"/>。
 
明治6年(1873年)[[7月28日]]に[[地租改正|地租改正法]]が制定されたため、明治7年([[1874年]])10月には[[地租]]の納期(第1期が8月)<ref group="※">地租の納期は以下の通り。
{| class="wikitable"
!税目
!第1期
!第2期
!第3期
!第4期
|-
|田方税
|-
|-
|1月(五分)
|4月(五分)
|-
|畑方税
|8月(五分)
|10月(五分)
|-
|-
|}</ref>に合わせた「[[7月]] - [[6月]]制」の導入が決定され、明治8年([[1875年]])7月から実施した<ref name="Meiji83"/>。
 
明治9年([[1876年]])の[[秩禄処分]]により明治政府は財政健全化の道筋をみるが、数々の特権廃止に反発する[[士族反乱]]は頂点に達し、明治10年([[1877年]])に[[西南戦争]]が勃発した。政府は多額の戦費を捻出するため[[不換紙幣]]を濫発し、[[インフレーション]]が発生した。明治14年([[1881年]])の[[明治十四年の政変]]により「[[大隈財政|積極財政]]」を敷く[[大隈重信]]が政府から追放されると、[[松方正義]]により[[紙幣整理]]が推し進められた([[松方デフレ]])。政府も「緊縮財政」を実施するが松方デフレの影響で税収は減少しており、[[煙草税]]や[[酒造税]]や[[醤油税]]などの増税、[[官営模範工場]]の払い下げも行った。一方で、明治15年([[1882年]])の[[壬午事変]]により、翌年から[[大日本帝国海軍]]の拡充計画が進んだため、財政赤字の穴埋めの必要から明治18年度([[1885年]]度)の酒造税を明治17年度([[1884年]]度)に繰り入れしてしまった<ref name="Meiji83"/>。翌年度の税収を繰り入れてしまったこの状況を改善するには、明治19年度([[1886年]]度)より酒造税の納期(第1期が4月)<ref group="※">当時の[[日本酒]]は、[[杜氏]]が[[寒造り]]で製造するのが一般的であり、杜氏は[[稲作]]の秋の収穫期が終わった農民が冬場の[[出稼ぎ]]として担っていた。そのため、酒造税の納期は、新酒の醸造が行われる冬場を除いた3期に分かれ、4月に第1期、7月に第2期、9月に第3期となっていた。</ref>に合わせて年度変更するほかに方法がないことになり、明治17年([[1884年]])10月、太政官達89号により「[[4月]] - [[3月]]制」の導入が決定され、明治19年([[1886年]])4月から実施された<ref name="Meiji83"/>。「4月 - 3月制」は明治22年([[1889年]])の[[会計法]]制定により法制化され、[[市制]]および[[町村制]]の施行に合わせて同年4月より[[市町村]]でも実施され、翌年5月より[[都道府県|道府県]](後に都も)も実施した<ref group="※">西南戦争後に興隆した[[自由民権運動]]に圧されて[[1881年]](明治14年)[[10月12日]]に[[国会開設の詔]]が[[詔勅]]され、[[1890年]](明治23年)を期して国会(議会)が設立されることになった。すると、議会設立以降は、議会の財政審議権により政府の財政自主権は制約を受けることになると予想されたため、財政関連法および租税立法が事前に整備された、という事情もある。なお、[[大日本帝国憲法]]は[[1889年]](明治22年)[[2月11日]]に公布、[[1890年]](明治23年)[[11月29日]]に施行された。また、憲法施行同日に[[帝国議会]]が設立された。</ref>。
 
[[終戦]]後の公共機関では、[[日本国憲法]]86条および90条<ref group="※">[[1946年]](昭和21年)[[11月3日]][[公布]]、[[1947年]](昭和22年)[[5月3日]][[施行]]。</ref>により「1会計年度は1年」「各々の会計年度は独立<ref group="※">「会計年度独立の原則
」は、地方自治法第208条2項にも規定されている。</ref>」と規定されているが、始期と終期の規定はない<ref name="Meiji83"/>。会計年度を「4月 - 3月制」と規定しているのは、国では[[財政法]]第11条<ref group="※">1947年(昭和22年)[[3月31日]]法律第34号</ref>、[[自治体]]([[普通地方公共団体]])では[[s:地方自治法 第二編 第九章 財務#208|地方自治法第208条]]第1項<ref group="※">1947年(昭和22年)[[4月17日]]法律第67号</ref>である<ref name="Meiji83"/>。
 
その後、会計年度の始期・終期を変更しようとする議論は、実際に変更数回なされた以外にも明治時代から何度も提起されているが、いずれも見送られている。[[1972年]]([[昭和]]47年)には当時の[[田中角栄]]首相が会計年度の暦年制移行をうったえたが、結局、[[大蔵省]](当時)などの反対により暦年制への移行は実施されなかった。
 
== 会計年度の所属 ==
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もう一つは、収入・支出に係る行為が完了した時点を標準とするもので、[[現金主義]](形式主義・決算主義)と呼ばれている。これは、[[単式簿記]]や単年度会計に向いているとされ、日本の[[官庁会計]]は現金主義の影響が非常に強いといわれている<ref>[http://www.azsa.or.jp/b_info/ps/sa/dokugyo_qa_02.html]</ref>。
 
== 参照脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 出典 ===
{{Reflist|group="※"}}
 
=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
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* [[インディクティオ]]
* [[年度]]
* [[醸造年度]]
 
{{DEFAULTSORT:かいけいねんと}}
[[Category:官庁会計]]