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== 歴史 ==
=== 前史 ===
雲南の地は古くから中国と[[インド]]を結ぶ西南[[シルクロード]]が通る重要な交通路であり、中国王朝の勢力は時に雲南を抑えることもあったが、必ずしも浸透していなかった。8世紀半ば、[[吐蕃]]の勢力がこの地方に南下して来ると、交易ルートの確保を巡って[[唐]]と吐蕃の角逐確執が起こった。
 
当時、雲南の{{lang|zh|洱}}海地区(現代の雲南省[[大理ペー族自治州|大理]])には{{仮リンク|六詔|zh|六诏}}と呼ばれる政治権力があった。詔(チャオ)は[[王]]を意味する[[タイ語]]「チャオ」<ref>この[[タイ族]]は{{仮リンク|哀牢|zh|哀牢|label=哀牢国}}の末裔である。なお「チャオ」という言葉自体には、中国語の「主」の借用語であるとする説もある</ref>に関連すると考えられるが、彼らは{{仮リンク|烏蕃|zh|乌蛮}}族<ref>烏蕃族は、[[イ族]]({{lang-zh|彝族}})の先祖と考えられている。</ref>と呼ばれる[[チベット・ビルマ語族]]であった。六詔の最南部に位置する蒙舎詔は初代・{{仮リンク|シーヌルオ|zh|細奴邏|vi|Mông Tế Nô La|label=細奴羅}}が[[7世紀]]半ばに唐に[[朝貢]]したことが記録されている。