「マルティン・ルター」の版間の差分

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=== 生い立ち ===
[[画像:Hans and Margarethe Luther, by Lucas Cranach the Elder.jpg|250px|thumb|left|マルティン・ルターの父母の肖像画]]
1483年に鉱山業に従事していた父ハンス・ルダー<ref>[[徳善義和]]著『マルティン・ルター ことばに生きた改革者』(岩波新書、2012年)p.12</ref>と母マルガレータの次男としてドイツのザクセン地方の小村[[アイスレーベン]]で生まれた。洗礼を受けた日が[[トゥールのマルティヌス]]の祝日であったため、彼にちなんでマルティンと名づけられた。もともと農夫(鉱夫説もあり)から身を起こした父は上昇志向が強く、子供たちにもさらに上を目指すよう常に要求していた。教育において時に厳格を極めた父の姿は、後のルターが冷酷で厳格な神というイメージを持つ上で強い影響を及ぼすことになる。父の願いに沿う形でマルティンは勉学に取り組んだ。初めルターの生後半年ほどで一家は[[マンスフェルト]]で、次へと移住してたため、まずはルターはここの教会付属学校に通った。ルターが13歳になると自宅から離れ、[[マクデブルク]]、ついで[[アイゼナハ]]に学び、法律家になるべく[[1501年]]に[[エアフルト大学]]に入った。哲学を学び、成績優秀で父の期待するエリート・コースに乗るかに見えた。マルティンの人生に最初の転機が訪れたのは、ロースクールに入学した1505年のことであった。家を出て大学へ向かったマルティンはエアフルト近郊のシュトッテルンハイムの草原で激しい雷雨にあった。落雷の恐怖に、死すら予感したマルティンは「聖[[アンナ (マリアの母)|アンナ]]、助けてください。修道士になりますから!」と叫んだという。マルティンの両親は[[修道院]]に入ることには大反対で、結婚して父の後を継いでくれることを望んでいたが、マルティンは両親の願いを聞き入れるどころか父親の同意すら得ずに大学を離れ、エアフルトの[[聖アウグスチノ修道会]]に入った。
 
=== 修道院生活におけるルターと「神の義」 ===