「カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国」の版間の差分

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== 歴史・概要 ==
カレロ=フィン・ソビエト社会主義共和国(カレロ=フィンまたはカレロ・フィン共和国)は、[[1940年]][[3月31日]]に[[カレリア自治ソビエト社会主義共和国]]と[[フィンランド民主共和国]]が合併して12番目のソ連構成共和国として成立した。フィンランド民主共和国は、[[冬戦争]](ソ・フィン戦争、[[1939年]][[11月30日]] - [[冬戦争1940年]][[3月13日]](ソ・フィン戦争)後、[[1940年]][[3月12日]]に締結された{{仮リンク|モスクワ講和条約|fi|Moskovan rauhansopimus (1940)|モスクワ条約]]ru|Московский договор (1940)|de|Frieden von Moskau|en|Moscow Peace Treaty}}に従い、ソ連の占領した国境地帯([[カレリア地峡]]、ラドガ・カレリおよび[[ヴィープリ]]、[[ソルタヴァラ]]の二都市を含む)の町テリヨキ(現在の[[{{仮リンク|ゼレノゴルスキ]] (サンクトペテルブルグ)|ru|Зеленогорск (Санкт-Петербург)|fi|Terijoki|en|Zelenogorsk, Saint Petersburg|label=ゼレノゴルスキ}})に樹立された傀儡政権である。ソ連占領地区に組み込まれたカレリアの住民中、約42万2000人がソ連の支配を嫌って脱出した(カレリア・フィンランド人避難 [[w:Evacuation of Finnish Karelia|Evacuation of Finnish Karelia]])。そして、その後を埋めるようにソ連国内の他の地域から住民が移住させられた。
 
[[ファイル:Karelo-Finnish SSR 1940.jpg|left|thumb|[[1940年]]のカレロ・フィン共和国]]
 
[[1941年]]「[[継続戦争]]」(第2次ソ・フィン戦争)でフィンランド軍はソ連占領地を奪還した。しかし[[1944年]]ソ連軍は反攻に転じ再びカレリアを占領した。最終的に[[{{仮リンク|モスクワ休戦協定]]|fi|Moskovan välirauha|ru|Московское перемирие (1944)|en|Moscow Armistice}}と[[パリ平和条約 (1947年)|パリ平和条約]]で再び、フィンランドは同地域をソ連に割譲することとなり、カレリアのフィンランド人は再び、亡命する者が相次いだ。軍事的観点から[[ヴィボルグ]](旧ヴィープリ)を含む[[カレリア地峡]]は、カレロ=フィン共和国から[[レニングラード州]]へ移管した。しかし、ラドガ・カレリアはカレロ=フィン共和国の一部に残された。
 
[[1956年]][[7月16日]]カレロ=フィン共和国は、ロシア共和国に編入されロシア共和国を構成するカレリア自治ソビエト社会主義共和国(カレリア自治共和国)となった。[[1991年]][[11月13日]][[ロシア連邦]]を構成する共和国となり「[[カレリア共和国]]」を名乗った。