「ベンジャミン・フランクリン」の版間の差分

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|退任日4 = [[1783年]][[4月3日]]
}}
'''ベンジャミン・フランクリン'''({{lang-en|Benjamin Franklin}}, [[ユリウス暦]]1705年1月6日([[グレゴリオ暦]][[1706年]][[1月17日]])<ref>出生国の宗主国[[グレートブリテン王国|イギリス]]は[[イングランド国教会|新教]]国であり、グレゴリオ暦改暦は1752年に遅れたので、改暦前の事象であるフランクリンの出生はユリウス暦を先に併記する。ただし、改暦前のイギリスでは<b>年初が3月25日</b>であったため、1月生まれの場合、ユリウス暦年の数字はひとつ小さくなる(現代日本における「早生まれ児童の学校[[年度]]」と似ている)。</ref> - [[1790年]][[4月17日]])は、[[アメリカ合衆国]]の[[政治家]]、[[外交官]]、[[著述家]]、[[物理学者]]、[[気象学]]者。印刷業で成功を収めた後、政界に進出しアメリカ独立に多大な貢献をした。また、[[凧]]を用いた[[実験]]で、[[]]が{{lang|en|electricity}}([[電気]])であることを明らかにしたことでも知られている。現在の[[アメリカ合衆国ドル|米100ドル]][[紙幣]]に肖像が描かれている他、ハーフダラー銀貨にも1963年まで彼の肖像が使われていた。
 
勤勉性、探究心の強さ、[[合理主義]]、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像を象徴する人物。己を含めて権力の集中を嫌った人間性は、個人崇拝を敬遠するアメリカの国民性を超え、[[アメリカ合衆国建国の父]]の一人として讃えられる。『フランクリン自伝』はアメリカのロング・ベストセラーの一つである。
 
== 家族と生い立ち ==
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1677年頃にジョサイアはエクトンでアン・チャイルドと結婚した。彼らは3人の子供、エリザベス(1678年3月2日生)、サミュエル(1681年5月16日生)、ハンナ(1683年5月25日生)をもうけた。1683年の後半に夫妻はイングランド王国を発ち、[[13植民地|イギリス領北米植民地]]のマサチューセッツ湾植民地[[ボストン (マサチューセッツ州)|ボストン市]]に向かった。
 
ボストンで夫妻は複数の子供をもうけた。ジョサイア・ジュニア、アン、ジョセフ、もう一人のジョセフ(最初のジョセフは生後すぐ死亡し、弟にその名前が付けられた)。ジョサイアの妻アンはボストンで7月9日に死去し、ジョサイアは11月25日にアビアと再婚した。{{要出典範囲|有名な凧揚げ実験は、本人ではなく彼の[[婚外子]]が行っている|date=2014年2月}}
 
もともとは奴隷所有者であったが、改心しアメリカ建国の父の中で唯一奴隷制廃止をるようになった。
有名な凧揚げ実験は、本人ではなく彼の[[婚外子]]が行っている。
 
もともとは奴隷所有者であったが、改心しアメリカ建国の父の中で唯一奴隷制廃止を訴えた。
 
== 年譜 ==