「テオドロス2世パレオロゴス」の版間の差分

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しかし、テオドロスは帝位への欲求を実現させることなく死去する。[[1448年]][[6月27日]]、彼はセリュンブリアにて[[ペスト]]に罹病し、叔父同様に修道士テオドレトスと改名して死去した。兄ヨハネスの死はその僅か四ヶ月後である。
 
 
==家族と子孫==
テオドロスと妻クレオパ・マラテスタ(Cleopa Malatesta, [[1433年]][[4月10日]]没)との間には一女が生まれた。
*[[エ・パレオロギナ]](Ελένη Παλαιολογίνα, [[1423年]]あるいは[[1428年]][[2月3日]]-[[1458年]][[4月11日]])  [[1442年]][[2月3日]]に[[キプロス王国|キプロス王]]'''[[ジャン2世・ド・リュ (キプロス王)|ャン'''2世]](Jean II de Lusignan)と結婚した。二人の娘'''シャルロット'''(Charlotte,'''キプロス女王''')とクレオファ(Cléopha)をもうけている。この女系を通じてパレオロゴス家の子孫を名乗る家門がいくつか[[フランス]]に現存している
 
==脚注==
<references />