「ピエール・ド・クーベルタン」の版間の差分

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'''クーベルタン男爵ピエール・ド・フレディ'''({{lang-fr|Pierre de Frédy, baron de Coubertin}}, [[1863年]][[1月1日]] - [[1937年]][[9月2日]])は、[[フランス]]の教育者であり、[[近代オリンピック]]の創立者である。一般に'''ピエール・ド・クーベルタン男爵'''と呼ばれる。
 
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===近代オリンピックの父===
歴史書の[[古代オリンピック|オリュンピアの祭典]]の記述に感銘を受け、「ルネッサンス・オリンピック」の演説の中で近代オリンピックを提唱した。賛同者によって[[国際オリンピック委員会]]({{lang-fr-short|CIO}}、{{lang-en-short|IOC}})が設立され、[[1896年]]の[[アテネオリンピック (1896年)|アテネオリンピック]]の開催へとつながった。
1912年第5回ストックホルム大会の芸術競技で、自らは金メダルを獲得していると言われ、この時彼はホーロット&エッシェンバッハという名を使い芸術競技文学部門に参加して優勝したと言われ、この時の出品作品は仏語で「{{lang|fr|Ode au Sport}}(日本語で『スポーツ賛歌』)」とされるただし、これほどまでが本当にクーベルタン本人の作品なのか芸術競技に熱心であ確証がなく実際は今も不明のままとなている
 
また、彼の考案・提唱によって[[近代五種競技]]が1912年の[[ストックホルムオリンピック]]から種目に採用された。