「海老原博幸」の版間の差分

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* 1962年12月31日、[[弥栄会館]]にて後の[[世界ボクシング協会|WBA]]世界フライ級、[[世界ボクシング評議会|WBC]]世界同級王者で当時[[OBF]]東洋フライ級王者である[[チャチャイ・チオノイ|チャチャイ・ラエムファバー]]({{THA}})と対戦し12R判定勝ち(3-0)。東洋王座を獲得したが、試合後にチャチャイ陣営が体重オーバーにより2オンスのグローブハンデを付けられた事に抗議し、タイトル獲得は無効となった。
* [[1963年]]9月18日、[[東京体育館]]にて世界フライ級王者[[ポーン・キングピッチ]]({{THA}})に同級4位として挑戦。自慢の左で2度ダウンを奪い、1RKO勝ちで世界王座を獲得した。海老原の強打に足が痙攣したポーンは、立ち上がることができず10カウントを聞いた<ref name="JapanProBoxingHistory">ボクシング・マガジン編集部 『日本プロボクシング史 世界タイトルマッチで見る50年』 ベースボール・マガジン社、2002年</ref>。
* [[1964年]]1月23日、[[バンコク]]の[[ラジャダムナン・スタジアム]]にて行われた初防衛戦となる前王者ポーン・キングピッチとのリターンマッチ。試合前に拳を痛め手数があまり出ない中、2Rに左ストレートをクリーンヒットさせるが、後半ポーンの老練なボクシングに苦しみ、10Rには左目をバッティングで負傷。ポーンにペースを握られつつも最後まで堪え、前半ポイントを稼いだ海老原が優勢と思われたが、[[ホームタウンディシジョン|地元判定]]が災いし、判定負け(1-2)で王座から陥落した<ref name="JapanProBoxingHistory" />。
* 1964年4月30日、[[ロサンゼルス]]の[[オリンピック・オーデトリアム]]にて後のWBC世界フライ級王者[[アラクラン・トーレス]]({{MEX}})と対戦。12R判定勝ち(2-1)。
* [[1965年]]1月3日、過去3度戦っているOBF東洋フライ級王者、[[中村剛 (ボクサー)|中村剛]](新和)と4度目の対戦。10R判定勝ち。