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[[宇宙世紀]]0079年の[[一年戦争]]時には、ソロモンや[[宇宙世紀の施設と地名#グラナダ|グラナダ]]とともにジオン公国の本国である[[サイド#サイド3(ムンゾ)|サイド3]]を守る重要拠点の一つである。
 
本来の目的である宇宙要塞として機能した他、内部に工廠を有して一年戦争末期には[[モビルスーツ]] や[[モビルアーマー]]などの生産が行われた<ref name="公式百科事典" />。
 
[[地球連邦軍]]は星一号作戦による攻略目標を本要塞を素通り、遠征部た。第一大の進軍中よる飛び石作戦でサイド3への直接侵攻を試みるも、[[コロニーレーザー#ソーラ・レイ(機動戦士ガンダム)|ソーラ・レイ]]の攻撃でこの部によって全艦隊の約30パーセントを失う大損害を受け、さらに最前線の最高指揮官である[[レビル]]将軍を失ったことでものの、本要塞の攻略に作戦計画変更強行した。これにより0079年[[12月31日]]から翌日にかけ、地球連邦軍の遠征部宇宙艦隊とジオン公国総帥[[ザビ家#ギレン・ザビ|ギレン・ザビ]]、その妹[[ザビ家#キシリア・ザビ|キシリア・ザビ]][[少将]]の指揮するジオン軍要塞守備隊との間で大規模戦闘が発生、これは両者の総力戦となり、本要塞は一年戦争最後の戦いの舞台となった。
 
漫画『[[機動戦士ガンダム THE ORIGIN]]』では、ジオン軍のMS開発試験場として要塞化される前の姿が登場している。また、ジオン公国宇宙総軍司令部が置かれていた。
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==== ギレン総帥の「戦死」 ====
当初ジオン軍では、Nフィールドへの地球連邦軍主力の攻撃を退けて優位に立っており、勝利の兆しが見えたとする余裕すらジオギレ軍司令部には見られた。
 
しかし、戦闘時、最中にキシリアは司令席のギレンに対し、「父殺しのを犯した<ref>ギレンは、作戦開始前に和平交渉のためレビル将軍との会見に赴いた父デギン公王を、ソーラ・レイの発射により、もろともに葬っている。</ref>」を犯したとして銃口を向け、銃を向けられギレンは真に受けず軽笑してあしらったが、0079年12月31日219時25分、ギレンはキシリアにより殺害された。現場を目撃した司令室の[[士官]]たちは動揺し、重い空気が流れていたが、[[機動戦士ガンダムの登場人物 ジオン公国軍 (た行-わ行)#トワニング|トワニング]]准将による、「ギレン総帥は名誉の[[戦死]]をされた」いう一言は、その場の沈黙を鎮め、キシリアに指揮権を引き継がせることになった。
 
しかし、ギレンの殺害からキシリアに指揮権が引き継がれるまでの間において命令が出せなくったことから、ジオン軍要塞守備隊の指揮系統に混乱を招き、地球連邦軍の攻撃に対して一瞬の隙を作ることになってしまった。
 
この間隙を突いた地球連邦軍の攻撃は熾烈なものがあったようで、同日219時40分にNフィールドのドロス級大型空母「ドロス」が撃沈され、さらに同日2210時10分にはSフィールドの「ドロス」の同型艦である「ドロワ」も撃沈された。防衛の死角を埋めるドロス級大型空母2隻全てを失ったジオン軍要塞守備隊は急激に防衛力を削られていった。
 
そして、地球連邦軍はSフィールドの[[ガンダム (架空の兵器)|ガンダム]]をはじめとするWB隊の奮戦もあって要塞内部への侵入に成功し、ジオン軍の旗色は一気に悪くなった。予備戦力に余裕のないジオン軍は崩れはじめ、練度不足の学徒動員兵の投入だけでは建て直しが不可能となった。
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その頃、戦いは地球連邦軍モビルスーツ隊及び着岸した艦艇から突入を開始した陸戦隊が要塞内部へ侵入したことにより、要塞内部での乱戦となり、あちこちで設備が損傷し始めていた。
 
ここに至ってキシリアは敗色が濃厚になったと判断し、[[ザンジバル (ガンダムシリーズ)|ザンジバル級機動巡洋艦]]で脱出を試みたが、同日2412時05分に翻意した配下の[[シャア・アズナブル]]大佐に殺害される。直後に地球連邦軍の[[サラミス (ガンダムシリーズ)|サラミス]]級巡洋艦数隻の集中射撃によってザンジバルも撃沈された。こうしてジオン公国は指導者たる[[ザビ家]]の主要メンバー全員が死亡した。
 
同日24123015分には、戦闘の影響により[[ミサイル]]工場から火災が発生。[[気]]の供給が一部区画を除いて停止して指揮系統が完全に麻痺した他、空調設備も働かなくなり、要塞としての機能に致命的な影響を及ぼし始めた。
 
ア・バオア・クー防衛司令部から戦闘中の各艦艇に指揮系統の機能停止と今後の自由行動を指示する命令が下ったのはこの頃と思われる。これは事実上の停戦命令(キシリア少将は生前、自身の脱出から15分後に降伏を打診することをトワニングに命じていた)であったが、残存艦艇の多くが未だ維持されていたEフィールドからの突囲撤退を試みたために、連邦軍の攻撃はその後もしばらく停止されなかった。