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この名跡は代々[[三役]]格から立行司に昇格する[[行司]]が襲名し、[[2008年]]5月場所からは10代[[三太夫 (行司)|式守勘太夫]]が38代目を襲名した。[[2011年]]11月場所より38代伊之助が[[木村庄之助 (36代)|36代庄之助]]を襲名し、[[木村玉光 (16代)|16代木村玉光]]が39代伊之助を襲名するはずだったが健康問題を理由に辞退したため、伊之助は暫く空位となっていたが<ref>立行司が一人になるのは庄之助が不在だった[[2006年]]3月場所以来</ref>、[[2012年]]11月場所より、10代木村庄三郎が39代伊之助を襲名した。[[2013年]]11月場所、39代伊之助が[[木村庄之助 (37代)|37代木村庄之助]]を襲名したのに伴い、11代式守錦太夫が[[式守伊之助 (40代)|40代伊之助]]を襲名した。
 
[[軍配]]には紫白の房、装束には紫白の菊綴じを着用し庄之助同様、差し違えた際に切腹する覚悟を意味する[[短刀]]を左腰にし、右腰には[[印籠]]を下げる。本場所では三役格以下と同様に2番を合わせている。
 
多くが60歳を過ぎてから襲名する傾向にあり、19代目<ref>19代目は定年制導入以前</ref>、27代目、30代目、34代目が64歳、24代目が63歳で襲名を果たしている。一方、若年襲名の記録として6代目<ref>6代目は生年の月日が不明。</ref>と8代目(40歳)、23代目(48歳)の例が確認される。当代(40代目)は2013年11月場所に襲名しており、当年54歳であった。