「アームストロング砲」の版間の差分

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[[Image:HMS Warrior 110lb BL.png|thumb|right|HMS[[ウォーリア (装甲艦)|ウォーリア]]搭載の口径7インチ、110ポンドアームストロング砲]]
[[Image:Armstrong cannon, Chulachomklao fort.jpg|right|200px|thumb|[[チュラチョームクラオ要塞]]のアームストロング砲]]
'''アームストロング砲'''(アームストロングほう)とは、[[イギリス]]の[[ウィリアム・アームストロング (初代アームストロング男爵)|ウィリアム・アームストロング]]が[[1855年]]に開発した[[大砲]]の一種。[[{{仮リンク|マーチン・フォン・ウォーレンドルフ]]|en|Martin von Wahrendorff}}([[:en:Martin von Wahrendorff|Martin von Wahrendorff]])が発明した[[後装式]][[ライフル砲]]を改良したもので、装填時間は従来の数分の一から、大型砲では十分の一にまで短縮された。砲身は[[錬鉄]]製で、複数の筒を重ね合わせる層成砲身で鋳造砲に比べて軽量であった。このような特徴から、同時代の火砲の中では優れた性能を持っていた。
 
==開発==
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アームストロング砲は、従来のように全体を一度に鋳造するのではなく、いくつかの部品を組み合わせて作製されていた。砲身は「Aチューブ」(当初は錬鉄製、1863年からは低・中[[炭素鋼]])と呼ばれる砲身内腔部をいくつかの錬鉄性のコイルで嵌め込んだ層成砲身で、コイルの圧力により強度を増加させていた<ref>Holleyは、鋼鉄製の中央チューブを錬鉄性のコイルで圧縮するダニエル・トレッドウェル[[:en:Daniel Treadwell|Daniel Treadwell]]が最初にパテントを取ったとしている。アームストロングはチューブを錬鉄製としてこの特許を回避したが、この特許の本質は素材ではなく外部コイルによる締め付けにあるため、実際にはアームストロングの方法はこれと同一である『Holley, Treatise on Ordnance and Armour, 1865, pages 863–870』</ref>。また[[尾栓]]と[[トラニオン|砲耳]]も別部品であった<ref>[http://riv.co.nz/rnza/hist/local/rbl6.htm Armstrong Rifled Breech Loading (RBL) 6-Pounder]</ref>。砲の施条は38口径長で1回転するように掘られていた。
 
[[鋳鉄]]製の砲弾は、[[ミニエー銃#ミニエー弾|ミニエー弾]]と類似の形状であり、薄い鉛で内腔径よりやや大きくなるようにコーティングされていた。この鉛部分が砲の施条に食い込み、砲弾に回転が与えられる。この方式は{{仮リンク|マーチン・フォン・ウォーレンドルフ|en|Martin von Wahrendorff}}{{仮リンク|ジョヴァンニ・キャヴァーリ|it|Giovanni Cavalli|de|Giovanni Cavalli}}によって開発されたばかりだった。従来の[[前装式|前装]][[滑腔砲]]に比べると、内腔と砲弾の隙間がないことにより、より少ない装薬量でも射程が伸び、砲弾の回転により砲撃精度を高めることができた。
 
薬嚢の前部には、ブリキのプレートで獣脂と亜麻仁油を挟み込んだ潤滑器が装着されていた。プレートの後ろには蜜蝋でコーティングしたフェルト束と厚紙があった。砲弾が発射されると潤滑器もその後を追うが、この際にプレートの隙間から潤滑油が搾り出され、フェルト束が砲弾から剥がれて内腔にこびりついた鉛を拭きとり、次弾の発射前に内腔が掃除されることになる<ref>Treatise on Ammunition 1877, pages 166–167</ref>。