「ハインリヒ24世 (ロイス=グライツ侯)」の版間の差分

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[[ファイル:Heinrich XXIV RäL.jpg|thumb|ハインリヒ24世]]
'''ハインリヒ24世・ロイス・ツー・グライツ'''('''Heinrich XXIV. Reuß zu Greiz''', 1878年3月20日 [[グライツ]] - 1927年10月14日 グライツ)は、ドイツの[[兄系ロイス=グライツ侯国]](兄系ロイス侯国)の統治者(在位1902年 - 1918年)。
 
ロイス=グライツ侯[[ハインリヒ22世 (ロイス=グライツ侯)|ハインリヒ22世]]とその妻でシャウムブルク=リッペ侯[[アドルフ1世ゲオルク (シャウムブルク=リッペ侯)|アドルフ1世]]の娘であるイーダの間の第1子、長男として生まれた。両親にとって唯一の男子だったが、幼少期の事故のために心身に重い障害があり、1902年に父から侯位を継承した際には統治不能が宣言された。このため、1902年から1908年までは同族の[[ロイス=ゲーラ侯国|弟系ロイス侯]][[ハインリヒ14世 (弟系ロイス侯)|ハインリヒ14世]]が、1908年以降はその世子で1913年に侯位を継ぐ[[ハインリヒ27世 (弟系ロイス侯)|ハインリヒ27世]]が兄系ロイス侯国の摂政を務めた。
 
1918年の[[ドイツ革命]]で君主の身分を失った後、1927年に亡くなるまでグライツの居城ウンテーレ城([[:de:Unteres Schloss (Greiz)|Unteres Schloss]]、下側の城)で暮らした。彼の死により兄系ロイス侯家は断絶したため、弟系ロイス侯家家長のハインリヒ27世が[[ロイス家]]全体の家長となった。
 
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{{succession box | title=[[兄系ロイス=グライツ侯国|ロイス=グライツ侯]]| years=1913年 - 1918年| before=[[ハインリヒ22世 (ロイス=グライツ侯)|ハインリヒ22世]]| after= - }}
{{succession box | title=〈名目上〉ロイス=グライツ侯<br/>ロイス=グライツ家家長| years=1918年 - 1927年| before= - | after=[[ハインリヒ27世 (弟系ロイス侯)|ハインリヒ27世]]}}
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