「千利休」の版間の差分

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* [[京都市]][[上京区]]の[[晴明神社]]内に利休屋敷跡の碑が建つほか、堺の百舌鳥野(現在の[[大仙陵古墳]]周辺か)に「もずの屋敷」、京都[[五条堀川]]辺りに「醒ヶ井屋敷」、同じく[[東山]]大仏前に「大仏屋敷」、大徳寺門前に「大徳寺屋敷」、大阪府[[島本町]][[山崎宿|山崎]]に「山崎屋敷」を構えていたと伝えられ、[[京都府]][[乙訓郡]][[大山崎]]には茶室[[待庵]]([[国宝]])が現存する。
* 現在でも「[[利休饅頭]](同種の菓子に利久饅頭の別名もあり)」というお茶受けのお菓子が各地にある。
* 天正15年([[1587年]])、豊臣秀吉の九州遠征のとき同行し[[筥崎宮]]に20日あまり滞在したとされる。このとき、秀吉は[[小寺黒田休夢]]([[黒田孝高]](官兵衛)の叔父)らと浜(現在の[[九州大学]]馬出キャンパス内)で茶会を催した。このとき利休は秀吉の命により、[[松]]に鎖をおろし、[[雲龍]]の小釜をかけ、白砂の上の松葉をかきあつめて湯をわかしたとされる。
 
== 作品 ==