「ブルターニュ (戦艦)」の版間の差分

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1921年から25年にかけて重油専焼缶に換装が行われ、さらに1932年から34年にかけて改修が行われた。新型のボイラーは43,000hpの出力を発揮したにもかかわらず、速度の増加は21ノットから23.4ノットへと僅かな増加であったが、同盟国の同世代の[[超弩級戦艦]]が軒並み速力21ノット~24ノットであったため、艦隊行動では問題は無かった。
 
両大戦において主に[[地中海]]で活動し、1940年3月、ブルターニュは変わった任務を命じられた。金の延べ棒1200本を積んで地中海のツーロンからカナダのハリファックスへの回航であった。この金塊はフランスがイギリスやアメリカから物資を輸入する為の代金に充てる物である。やはり延べ棒を積んだ重巡洋艦[[アルジェリー (重巡洋艦)|アルジェリー]]と共に大型駆逐艦3隻に護衛されての航海であった。
1940年に[[フランス]]が[[ナチス・ドイツ]]に降伏すると、ブルターニュは[[メルセルケビール]]([[:en:Mers El Kébir|Mers El Kébir]])へ移動する。[[イギリス]]はフランス艦隊がナチス・ドイツの手に渡るのを恐れ、1940年7月3日に巡洋戦艦[[フッド (巡洋戦艦)|フッド]]、戦艦[[バーラム (戦艦)|バーラム]]、戦艦[[レゾリューション (戦艦・2代)|レゾリューション]]から成る艦隊で攻撃を行う。4隻の戦艦の中で最後まで動けなかった戦艦ブルターニュは、航行を始める前から命中弾が相次ぎ、後部から沈み始めた。艦は火達磨となり戦闘開始から13分後の5時9分、突然爆発を起こして転覆した。戦死者は1190名の内、977名に及ぶ。真珠湾でのアメリカ戦艦アリゾナの死者が1300名である事を考えれば、フランス海軍最大の悲劇であった。艦長ル・パパーン大佐、第二戦隊司令官ボーザン中将は艦と運命を共にした([[メルセルケビール海戦]])。