「片岡仁左衛門 (13代目)」の版間の差分

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=== 関西歌舞伎時代 ===
1939年、関西歌舞伎へ移籍。1951年には亡父の後を襲って継ぎ片岡仁左衛門を襲名するが、1960年代に入ってからの関西歌舞伎の凋落いちじるしく、思わしい活動が行えなかった。[[中村鴈治郎 (2代目)|二代目中村鴈治郎]]、[[實川延若 (3代目)|三代目實川延若]]らとともに、自主公演の集まり「七人の会」をたちあげたが注目されずに終わる。このような上方歌舞伎の現状を憂い、伝統の灯火を守ることを決意した仁左衛門は、私財を投じ「仁左衛門歌舞伎」と称して1962年以降五回にわたって自主公演を決行。関西歌舞伎界に与えた影響はきわめて大きい。一方では高校生を対象とする歌舞伎教室を開催したり、上方の若手役者による「若鮎の会」を主宰して若手俳優の指導など人材育成に努めた。
 
=== その後 ===