「台湾沖航空戦」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
134行目:
壊滅したはずの米戦力が発見されると連合艦隊(日吉)司令部で、連合艦隊航空参謀[[淵田美津雄]]中佐、軍令部航空参謀[[鈴木栄二郎]]中佐、第二航空艦隊兼T攻撃部隊航空参謀[[田中正臣]]少佐、連合艦隊情報参謀[[中島親孝]]少佐の4人で再検討が行われた。1949年7月31日に[[淵田美津雄]]が[[ダグラス・マッカーサー|マッカーサー]]からの質問に答えた陳述書によれば、田中を招致して、淵田と鈴木で田中の持参した資料を検討し、中島の意見も求めたという<ref>戦史叢書37 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 716頁</ref>。連合艦隊参謀[[淵田美津雄]]大佐によれば、誤認について参謀長申進を以て注意をしており、10月17日「[[捷一号作戦]]警戒」発令で敵空母10隻健在のもと対処するように通達したため、連合艦隊、軍令部、各航空隊も敵空母健在と判断していたという<ref>戦史叢書37 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 728頁</ref>。戦後、[[田中正臣]]はこの再検討の際に話し合われた内容について「覚えていない。そういうこと(忘れてしまうこと)もある」と話している<ref>[[日本放送協会|NHK]]製作[[テレビ番組]]『幻の大戦果 大本営発表の真相』インタビュー</ref>。軍令部で現地に派遣調査させた[[三代辰吉]]も同様の判断をした<ref>戦史叢書45 大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 448頁</ref>。
 
軍令部参謀[[藤森康男]]によれば、疑念もあり軍令部作戦課は、[[源田実]]参謀を中心にさらに検討を加えたが、さしあたり公的には現地部隊報告を基礎に資料作成するほか名案もなかった<ref>戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 447頁</ref>。戦果誤認は以前から問題になっており、[[中澤佑]]軍令部部長によれば、連合艦隊司令部の報告から不確実を削除し、同司令部に戦果確認に一層配慮するように注意喚起していたが、同司令部より「大本営は、いかなる根拠をもって連合艦隊の報告した戦果を削除したのか」と強い抗議電が参謀長名で打電され、結局反論なくうやむやになっていたという<ref>戦史叢書37 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 726頁</ref>。軍令部参謀[[藤森康男]]によれば、疑念もあり軍令部作戦課はさらに検討を加えたが、さしあたり公的には現地部隊報告を基礎に資料作成するほか名案もなかったという<ref>戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 447頁</ref>。
 
陸軍では、[[大本営]]情報参謀であった[[堀栄三]]の回想によれば、台湾沖航空戦中にたまたま[[鹿児島市|鹿児島]]に滞在していたところ、[[鹿屋航空基地|鹿屋]]で実際の航空兵から戦果確認方法について聞き取り調査を行い内容に疑問を持ち、「当該戦果は重巡数隻程度と推測」と戦闘中に既に陸軍参謀本部情報課に連絡し、その後情報課から作戦課へ報告がされたが、省みられることがなかったという。