「クロード・ルイ・ベルトレー」の版間の差分

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クロード・ルイ・ベルトレーは、1748年に当時[[サヴォイア公国]]の領土だった[[アヌシー]]近郊にある[[タロワール]]で生まれた。
 
ベルトレーは[[アントワーヌ・ラヴォアジエ]]やその他の化学者と共に、化学物質の命名法や名前の体系を決めた。それらは現代の化合物の名称の体系の基礎となっている。さらにベルトレーは[[染料]]や[[漂白剤]]の研究を行い([[塩素]]を漂白に使うなど)、そして[[アンモニア]]の組成を決定した。逆反応、延いては[[平衡|化学平衡]]の特性を認識した初期の化学者の一人である。強力な酸化剤である[[塩素酸カリウム]](KClO<sub>3</sub>)は、ベルトレーの塩として知られている。
 
フランスの化学者[[ジョゼフ・プルースト]]と[[定比例の法則]]の妥当性について長く論争したことで知られている。プルーストは化合物を構成する元素の割合はその製法に関わらず一定だとし、ベルトレーは初期状態の反応物質の比率によって変化するとした。プルーストは正確な測定によって自説が正しいことを証明したが、化学界の権威だったベルトレーがいたため定比例の法則はすぐには受け入れられなかった。それが受け入れられたのは1811年に[[イェンス・ベルセリウス]]が認めてからである。しかし、後にベルトレーが全く間違っていたわけではないことも判明している。すなわち、定比例の法則に従わない化合物も実在することがわかった。そういった[[不定比化合物]]は、彼をたたえて「ベルトライド化合物」(''berthollides'') と名づけられた。