削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
3行目:
(一座宣旨の例)
 
[[豊臣秀吉]](藤原秀吉)の一座宣旨(奉者:大外記)※ 「足守木下家文書」所載
 
[[大納言|権大納言]][[柳原淳光|藤原朝臣淳光]]宣、奉 勅、関白宜令列前関白上者、
 
天正十三年七月十一日 [[掃部寮|掃部頭]][[外記|大外記]][[造酒司|造酒正助教]][[中原師廉|中原朝臣師廉]] 奉
 
(訓読文)権大納言(柳原)藤原朝臣淳光宣(の)る。勅(みことのり)を奉(うけたまわ)るに、関白(藤原秀吉)をして、前(さきの)関白([[二条昭実]])の上に列(つら)ならしむべし者(てへり)。天正十三年七月十一日 掃部頭兼大外記造酒正助教中原朝臣師廉 奉(うけたまわ)る。
 
天正十三年七月十一日段階では、[[近衛家]][[猶子]]となっおり、[[豊臣氏|豊臣]]の氏は未だ賜わらず[[藤原氏|藤原]]となる。
 
 
== 参考文献 ==
* 黒板伸夫「一座」「一座宣旨」(『平安時代史事典』([[角川書店]]、1994年) ISBN 978-4-040-31700-7)
 
== 関連項目 ==
* [[藤原師実]]
* [[藤原兼家]]