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'''杉本 美和介'''(すぎもと みわのすけ、生没年不詳)は[[江戸時代]]後期から[[明治時代]]初期の人物。[[加賀藩|加賀]][[藩士]]。初名を駒太郎という<ref name="kuromoto">[[黒本植]]著『三州遺事』([[石川県立図書館]]、[[1931年]]) 28頁、29頁参照。</ref>。
 
7歳で藩り召しだされ、[[前田慶寧]]に仕え、[[江戸]]詰めとなる。9歳の折、[[参勤交代]]で国元に帰還するが、前藩主[[前田斉泰|斉泰]]の正室 [[溶姫]]より土産として[[からくり人形]]を拝領する。長じて大小将横目に進み、藩主より左馬介と改名するよう命ぜられるが、[[従五位]]の[[位階]]に叙爵を受けた者が名乗るものであるという理由からさらに美和介に改名を命ぜられた。書は米菴の子 三次郎に学び、隷書をよくした。[[天保]]元年([[1830年]])から[[嘉永]]7年([[1854年]])まで藩主の側近くに仕えた。[[明治維新]]の際、加賀藩は新政府に恭順の意を示し、[[北越戦争]]に[[新政府軍]]に従い出兵したが、美和介は鉄砲組頭として一隊を指揮し、敵地に入っておおいに功を挙げた。戦後は戦没した者のために自筆の書を認め、野田、卯辰の二所に碑を建てるという。57年で生涯を終える<ref name="kuromoto"/>。