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'''マックボンボン'''([[1972年]] - [[1973年]])志村健(現・[[志村けん]])が[[ザ・ドリフターズ]]の[[付き人]]時代に、同じ付き人同士で組んだ[[お笑いコンビ]]である([[1972年]]~[[1973年]])。[[渡辺プロダクション]]所属。
 
== 歴史 ==
最初の相方は[[井山淳]]で、井山の脱退(失踪)後の相方は福田正夫だった。結成当初は'''チャーミングコンビ'''だったが、'''ザ・ドリフターズ'''(以下、ドリフと表記)のリーダーで志村の師匠である[[いかりや長介]]から、「お前らは絶対チャーミングじゃない」との指摘により改名した
 
初めての仕事は'''[[小松みどり (1949年生)|小松みどり]]ショー'''の[[前座]]で、井山のボケに対して、志村が立ったままの姿勢から、井山の顔面に足でツッコミを入れるなど、身体を張ったネタが評判となる。その後、[[小柳ルミ子]]、[[天地真理]]、[[森進一]]、[[沢田研二]]、[[鶴田浩二]]、[[三波春夫]]等の前座も務めるようになった。
 
そんな中、初のレギュラーにして初司会、そしてコンビ名の付いた「冠番組」である『[[ぎんぎら!ボンボン!]]』(後に『[[シャボン玉ボンボン]]』にリニューアル)の出演が決まる。当時ドリフのリーダーで志村の師匠だった[[いかりや長介]]は、ネタのストックも無いままテレビに出演することに難色を示し反対する。その心配は的中し、知名度の低さとワンパターンなネタがすぐに飽きられ、視聴率不振により番組はわずか3ヶ月に満たないまま打ち切りとなった。その失敗により、ショックを受けた当時の相方である井山が失踪。この為志村は、ドリフの付き人の一人である福田を次の相方として選び、新生マックボンボンを再出発させる。
 
しかし、福田は[[自衛隊]]上がりで常々「お笑いじゃなくてもやっていける」と思っており、練習に熱が入らずコンビは自然消滅となった。その後、志村は再びドリフの付き人に戻った(その後の志村の経歴は[[志村けん]]を参照)。
 
== メンバー ==
全員ドリフの付き人だった。
* 志村健(現・[[志村けん]])
* [[井山淳]]
* 福田正夫
 
== 参考文献・HP ==
* 志村けん『変なおじさん』([[日経BP社]]、[[1998年]] [[新潮文庫]]、[[2002年]])
* 居作昌果『8時だョ!全員集合伝説』(双葉文庫、[[2001年]])
* [http://odakhyper.cool.ne.jp/daikorin/suwashinji/suwa-world.html すわ親治の世界]
 
{{ザ・ドリフターズ}}