「アレクサンダー・フレミング」の版間の差分

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チャーチルを2回救ったという都市伝説について追記
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[[1955年]]フレミングは[[ロンドン]]の自宅で[[心臓発作]]により死去した。彼は国家の英雄として[[ロンドン]]の[[セント・ポール大聖堂]]に埋葬された。彼のペニシリンの発見は近代医薬を変革させ、有効な[[抗生物質]]の時代をもたらした。
 
== 都市伝説 ==
フレミングは青年時代に、少年時代の[[ウィンストン・チャーチル]](第二次世界大戦中に[[イギリスの首相]])が池で溺れているところを救い、それがきっかけでチャーチルがフレミングの学費を支援して医師になることができ、今度は1943年に肺炎にかかったチャーチルをペニシリンで救うことになったとする「チャーチルを2回救った」話がある。しかしこれは、第二次世界大戦後アメリカで賞を受賞した際に、[[フレデリック・ヴィンソン]][[アメリカ合衆国財務長官|財務長官]]がスピーチをしたことが原因で広まったエピソードであり、事実ではないとされる。チャーチルはフレミングの7歳年上であり、フレミング青年がチャーチル少年を救うというのは年齢が逆転している。また1943年に肺炎にかかったチャーチルを救ったのはペニシリンではなく[[サルファ剤]]であった<ref>{{Cite web | url = http://gendai.ismedia.jp/articles/-/38404?page=6 | author = 佐藤健太郎 | title = 奇跡の特効薬「ペニシリン」 誕生を生んだ史上最大のセレンディピティ | date = 2014-02-19 | publisher = 現代ビジネス | accessdate = 2014-03-23}}</ref>。
 
== 脚注 ==
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<references />
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== 外部リンク ==