「フアナ1世 (ナバラ女王)」の版間の差分
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1274年、父王エンリケ1世(シャンパーニュ伯アンリ3世)の死去により王位と伯位を継承した。幼少だったので母親が摂政として政務を執ったが、幼い女王に女性の摂政、さらに相続人の少なさといった点がナバラ内外の対立勢力に付け込まれることとなった。そこで母子はフランス王[[フィリップ3世 (フランス王)|フィリップ3世]]に庇護を求めた。[[1284年]][[8月16日]]にフアナは王太子フィリップ(後の[[フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世]]、ナバラ王としてはフェリペ1世)と結婚して共同統治を行ない、以後およそ半世紀にわたってナバラとフランスは[[同君連合]]となった。フィリップとの間に、ルイ(スペイン語名ルイス、後の[[ルイ10世 (フランス王)|ルイ10世]])、フィリップ(フェリペ、後の[[フィリップ5世 (フランス王)|フィリップ5世]])、シャルル(カルロス、後の[[シャルル4世 (フランス王)|シャルル4世]])、[[イザベラ・オブ・フランス|イザベル]](イサベル、[[イングランド王国|イングランド]]王[[エドワード2世 (イングランド王)|エドワード2世]]妃)らをもうけた。
1305年にフアナは死去
{{ナバラ王|1274年 - 1305年|女王}}
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