「カイザー・ヴィルヘルム・デア・グローセ (客船)」の版間の差分

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|colspan="2" align="center"|[[Image:Kaiser wilhelm der grosse 01.jpg|300px|カイザー・ィルヘルム・デア・グロー]]
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!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|船歴
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|船名||カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロ
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|所有||北ドイツ・ロイド
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'''カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセ'''(独:''{{lang|de|SS Kaiser Wilhelm der Große}}''、英:''{{lang|en|SS Kaiser William the Great}}'グロッセ'''と表記されることもある)は、[[ドイツ]]の北ドイツ・ロイド社所属の客船。船名の由来はドイツ皇帝[[ヴィルヘルム1世 (ドイツ皇帝)|ヴィルヘルム1世]](「偉大なる皇帝ヴィルヘルム」の意)であり、初めてドイツの船舶で[[ブルーリボン賞 (船舶)|ブルーリボン賞]]を受賞し、初めて[[第一次世界大戦]]で撃沈された民間船である<!--撃沈時は軍艦では?-->。
 
== 概要 ==
カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセは[[シュチェチン|シュテッティン]]の[[フルカン・シュテッティン]]造船所で建造され、[[1897年]][[5月4日]]に進水、同年[[9月19日]]に[[ブレーマーハーフェン]] - [[ニューヨーク]]間で処女航海を行った。[[1897年]][[11月]]、ニードルスから[[ニュージャージー州]]のサンディ・ホークへ向かう航海で大西洋横断の新記録を達成し東回りのブルーリボン賞を、その航海の4ヵ月後に西回りのブルーリボン賞を奪った。その後、ハンブルク・アメリカ・ライン社の客船[[ドイッチュラント (客船・2代)|ドイッチュラント]]が[[1900年]][[7月]]に東回りの記録を、[[1903年]][[9月]]に西回りの記録を更新し、本船からブルーリボン賞を奪った。こうしてしばらくの間は[[ドイツ]]の船舶がブルーリボン賞を保有していたが、その後は[[ルシタニア (客船)|ルシタニア]]と[[モーリタニア (客船・初代)|モーリタニア]]がブルーリボン賞を受賞したため、再び[[イギリス]]の船舶がブルーリボン賞を保有することとなった。
 
カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセは初めて商業用に開発された無線機器を搭載した船舶で、マルコーニ社の開発した無線機器を[[1900年]][[2月]]に搭載した。この機器のデモンストレーションとして[[ドイツ]]の[[灯台]]、30km北西に停泊した[[灯台船]]、[[イギリス]]に同じ機器が設置され、交信を行った。本船は初めて4本の煙突を取り付けた船舶でもあった。
 
[[1900年]][[6月]]、[[ホーボーケン (ニュージャージー州)|ホーボーケン]]の港で大規模な衝突事故が発生し、カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセは客船メイン、ブレーメン、セールと衝突した。この事故で161名の乗務員が死亡した。その6年後、[[1906年]][[11月]]、[[ロイヤルメール]]社の客船オリノコと衝突し、カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセの乗客が5名死亡、船体には幅21m、高さ8mの巨大な穴が開いた。この事故の海難審判では、カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセに責任があるとされた。
 
== 第一次世界大戦 ==
第一次世界大戦が始まるとカイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセは徴用されて仮装巡洋艦にされ、10.5cm(4インチ)砲6門と37mm機関砲2門が装備された。
 
1914年8月4日にカイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセはReymann艦長の指揮の下ドイツから出撃し、大西洋へ進出<ref name="walter95">''The Kaiser's Pirates'', p.95</ref>。8月7日、トロール船Tubal Cain(227トン)を沈めた<ref name="walter95"/>。8月15日、カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセは3隻の船を発見した。女性、子供を多数乗せていたGalician(6762トン)とArlanza(15044トン)は解放することになったが、ニュージーランドおよびモンテビデオから肉を積んでイギリスに戻る途中であったKaipara(7392トン)を沈めた<ref>''The Kaiser's Pirates'', pp.95-96</ref>。さらに8月16日にも貨物船Nyanga(3066トン)を沈めた<ref>''The Kaiser's Pirates'', p.96</ref>。
 
そのあと、燃料不足となったカイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセはリオ・デ・オロで補給船と合流して補給を受けていたが、8月26日にイギリス巡洋艦「ハイフライヤー(''{{lang|en|HMS Highfliyer}}'')」が現れた<ref>''The Kaiser's Pirates'', pp.96-97</ref>。ハイフライヤー艦長は降伏を薦めたもののカイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセ側は拒否して戦闘になったがそれは一方的なものであり、カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセは横転して浅瀬に沈んだ<ref name="walter97">''The Kaiser's Pirates'', p.97</ref>。イギリス側はハイフライヤーが沈めたと考えているが、ドイツ側はカイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセは[[自沈]]したとしている<ref name="walter97"/>。戦闘でハイフライヤーでは一人が死亡し6人が負傷した<ref name="walter97"/>。カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセ側の死傷者数は不明である<ref name="walter97"/>。Reymannなど82人はスペインの港までたどり着き、抑留された<ref name="walter97"/>。また400人近くが石炭船Bethaniaに救助されたが、Bethaniaはイギリス巡洋艦エセックスに拿捕された<ref name="walter97"/>。
 
== 関連項目 ==
*[[ブルーリボン賞 (船舶)]]
*[[クロンプリンツ・ヴィルヘルム (客船)]] - カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロセの姉妹船
==脚注==
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{{DEFAULTSORT:かいさういるへるむてあくろせ}}
[[Category:ブルーリボン賞 (船舶)]]
[[Category:クルーズ客船]]