「台湾光復」の版間の差分

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== 植民地支配とその終焉 ==
台湾地域は、[[日清戦争]]の後、[[1895年]][[4月17日]]の[[下関条約]]の締結で台湾住民の意思を考慮せず、[[清]]から[[日本]]に割譲された。しかし清国人であった当時の台湾官僚を中心に日本軍の進出に対し[[台湾民主国]]建国・抗日武装蜂起などで抵抗したが、[[1920年代]]までにはそれらの運動は全て鎮圧された<ref>この抗日闘争の間に、大陸側(清朝政府と[[中華民国の歴史|中華民国]]政府)は、台湾人指導者の再三の懇請にも関わらずなんら支援を行わず、先の頭越しの割譲決定とあわせて「大陸は台湾を見捨てた。」という印象を台湾の漢人に与えた。この事は大陸漢人への不信感を募らせる結果となり、後に国民党が一方的に台湾人を奴隷化されたと定義した際には、この歴史的経緯ともあいまって国民党と外省人への不満が増幅された。</ref>。内心では強く植民地支配からの解放を願っていた台湾人もおり、日本の[[ポツダム宣言]]受諾によって、台湾が植民地支配から解放されたことを知った際には喜びを露にする人もいた<ref>既に植民地支配が始まって50年が経過し、日本による[[皇民化政策]]が非常に進んだこともあいまって台湾人の中には自己のルーツを忘却し、身も心も「帝国[[臣民]]」となりきっていた若者も少なくなかった。故に彼等にいたってはもはや同化は主観的には「強制的」ではなく、植民地支配という実情を深く意識することもなかった。このような意識の中で終戦を「光復」の意味も分からないまま迎えたという証言も存在する。</ref>。{{要出典範囲|date=2013年9月25日|これについて[[金美齢]]は「台湾人はお気楽な性格で、[[玉音放送]]を聞いたときは日本人と考えていたから落ち込んだんです。でも誰かが「いや、勝ったんだ。元は漢民族だろう」と言ったんです。すると今度は喜んだんですよ」と発言している}}
 
1995年に、台湾光復50周年を記念した10元記念硬貨や記念切手が発行された。2001年の週休二日制の導入後は、光復節は休暇を伴わない記念日となっている。また、2010年10月25日から11月21日まで、台湾省政府は台湾光復65周年特別展を開催した<ref>{{Cite news | url = http://japanese.rti.org.tw/Content/GetSingleNews.aspx?ContentID=112229 | title = 抗日戦勝利と台湾回復65周年の特別展が開催 | publisher = [[台湾国際放送|台湾国際放送日本語部]] | date = 2010-10-22 | accessdate = 2013-09-25 | language = 日本語 }}</ref>。