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1883年(明治16年)[[岡山県]][[賀陽郡]]庭瀬村(現・[[岡山市]])に生まれる。
 
[[1901年]](明治34年)岡山中学校を卒業するが、[[チフス]]により進学を断念。[[1902年]](明治35年)9月に[[第一高等学校 (旧制)|第一高等学校]]二部に入学。第一高等学校卒業後は[[東京大学|東京大学]]に入学。[[1909年]](明治42年)に大学を卒業し大学院へ入学。大学院では植物細胞学を専攻し、そこでハスについての研究も始めた。学生時代に[[内村鑑三]]の影響により[[無教会主義]]の[[キリスト教]]に入信する
 
[[1910年]](明治43年)[[第八高等学校 (旧制)|第八高等学校]]の講師となり、翌年に同校の生物学教授となる。[[1917年]]([[大正]]6年)に[[満州]]の[[大連]]へ赴き、[[南満州鉄道]]中央研究所([[満鉄調査部]])植物班主任として古ハスの実の研究に従事する。[[満州事変]]にいたる一連の軍部行動への抗議として退社、事変の翌年に東京へ戻り、[[東京女子大学]]、[[東京高等農林学校|東京農林専門学校]]、[[関東学院大学]]で講義を行う。