「マルクス・コルネリウス・ニグリヌス・クリアティウス・マテルヌス」の版間の差分

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ニグリヌスは[[ヒスパニア・タッラコネンシス]]の出身で、[[エクィテス]]の家系であった、[[ウェスパシアヌス]]帝治世下で[[元老院]]議員に選出された。また、[[ガリア・アクィタニア]]属州総督であった83年に補充[[執政官]]に選出された。その後は[[モエシア]]属州総督として[[ドナウ川]]における戦いの活躍により2度の凱旋式を挙行する栄誉を得た。
 
[[95年]]から[[97年]]まで[[シリア属州]]の総督を務めたが、当時のローマ皇帝であった[[ネルウァ]]の有力な後継皇帝候補として、[[ゲルマニア・スペリオル]]属州総督の[[トラヤヌス]]とその座を争った。ニグリアヌスはしかし、[[プラエフェクトゥス・プラエトリオ]]の{{仮リンク|カスペリウス・アエリアヌス|en|Casperius Aelianus}}らの支持および反乱の扇動も受けトラヤヌス派と争ったが、帝位争いにニグリヌスは敗れて撤退した。トラヤヌスの即位後、シリア属州総督から退き、故郷のヒスパニア・タッラコネンシスに帰国した。
 
==参考==