「民主党 (韓国 1991-1995)」の版間の差分

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{{改名提案|民主党 (韓国 1991-1995)|t=ノート:民主党 (韓国 2008)|date=2014年4月}}
{{Otheruseslist|民主党 (韓国 1991)|1955年~1965年の期間に存在した民主党(韓国)|民主党 (韓国 1955)|1988年~1993年の期間に存在した民主党(韓国)|民主党 (韓国 1990)|2005年~2008年の期間に存在した民主党(韓国)|民主党 (韓国 2005)|2008年~2011年の期間に存在した民主党(韓国)|民主党 (韓国 2008)|2011年に民主統合党として結成された民主党(韓国)|民主党 (韓国 2011-2014)}}
{{政党
|国名 = 大韓民国
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翌[[1991年|91年]]6月に行なわれた主要都市や道の議員を選ぶ[[地方議会選挙 (韓国 1991)|広域議会議員選挙]]で民自党が圧勝し、新民党と民主党がともに敗北したことに両党は危機を強め、[[9月10日]]に両党の統合を宣言。同月16日に新民党総裁の[[金大中]]と民主党の[[李基澤]]総裁を共同代表<ref>但し、中央選挙管理委員会への届け出た法的代表は金大中のみである。</ref>とする「'''民主党'''」が結成された。但し、旧・民主党の朴燦鐘と金光一議員は統合に反対して新・民主党への参加を拒否した。
 
翌[[1992年|92年]][[3月]]の[[第14代総選挙 (大韓民国)|第14代総選挙]]では97議席を獲得して躍進。同年12月の[[1992年大韓民国大統領選挙|大統領選挙]]では金大中代表を候補として擁立したが、民自党の[[金泳三]]候補に大差で敗れた。選挙後、金大中は李基沢に代表の座を譲って政界引退を表明したが、[[1995年]][[9月]]に政界復帰し、民主党内の自派系議員(東橋洞系<ref>金大中派の別称で、金大中の自宅所在地が東橋洞であるため、名付けられた。</ref>)を基盤に「'''[[新政治国民会議]]'''」(国民会議)を結成した。金大中が国民会議を結成したことで最大野党の座から転落した民主党は、市民団体が中心となって結成された「改革新党」と統合して「'''統合民主党'''」を同年12月に結成した。→「[[統合民主党 (19951996)]]」
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== 党役職 ==