「ディオメーデース」の版間の差分

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トロイア戦争の後、ディオメーデースは故郷へ帰ったが、妻に裏切られたため、[[イタリア]]へと渡り、[[ブリンディジ|ブリンディシオン]]とアルプス・ヒッピウムの二市を立てたという。
 
 
==トロイア戦争以前==
ディオメデスの系譜は父方では[[アイトーリア]]人、母方では[[アルゴス]]人であった。それゆえ父のテューデウスは叔父の[[アグリオス]]の迫害から逃れるためにカリュドーンを去り。アルゴスに逃げ、アドラーストスの娘デイピューレーと結婚した。
 
テューデウスは[[テーバイ攻めの七将]]の一人であったが、この企ては失敗し、アドラストス以外の、テューデウスを含む全ての将は戦死した。この時ディオメデスは4歳だったが、葬式の際に息子たちは出会い、いつかテーバイを侵略することを誓った。そして自らエピノゴイと呼んだ。そして10年後にテーバイを再び攻撃し、侵略は成功した。ディオメデスはこの時15歳の若さであったが、最も武勇に優れていたという。侵略後テーバイの民は[[テイレシアース]]の助言に従い逃亡し、エピノゴイは略奪品により祖国を潤した。テーバイは[[テルサンドロス]]が支配した。
 
アルゴス王のアドラストスは、息子の[[アイギアレウス]]が戦死したことを知ると、悲しみのあまり自らも死んだ。アイギアレウスは、テューデウスの娘(すなわちディオメデスの姉妹)のコマエトーと結婚していた。それでディオメデスは、テーバイ攻めから帰還後、アイギアレウスの娘のアイギアレイアと結婚した。これにより彼はアルゴスの王に任命され、若くしてギリシアで最も権力のある支配者の一人となった。
 
ディオメデスは5年以上に渡りアルゴスを支配し、多くの富と安定を町にもたらした。彼は優秀な政治家で、他の支配者からも大きな尊敬を集めていた。父の故郷であるカリュドーンの動向にも目を光らせていた。そこでディオメデスの祖父の[[オイネウス]]が、[[テルシーテース]]ら率いる[[アグリウス]]の息子たちの手で牢獄に入れられ、アグリウスに玉座を奪わせた事件があったが、ディオメデスはオイネウスに権力を取り戻させることを決意した。
 
ディオメデスはカリュドーンを攻撃し、テルシーテースや、ペロポネソス半島に逃げた[[オンケーストス]]を除く全ての売国奴を殺した。その時アグリウスも自害し、オイネウスに支配権が復活した。その後オイネウスは王国を義理の息子のアンドライモーンに渡し、ディオメデスに会いにアルゴスに向かったが、その途中でテルシーテースとオンケーストスによって暗殺された。ディオメデスは暗殺者を発見することは出来なかったので、オイノエーと呼ばれる町を祖父が埋められた地に建設し、祖父の名誉を讃えた。
 
その後ディオメデスはトロイア戦争でアカイア勢としてテルシーテースと一緒だったが、ディオメデスは高潔な性格のため、彼を無碍に扱うことはなかった。しかしテルシーテースはアカイア勢すべてに嫌われていた。実際、アキレウスが[[ペンテシレイア]]の亡骸に対し慟哭しているのをテルシーテースは嘲笑ったのでアキレウスにより残忍な方法で殺されたのだが、ディオメデスだけがアキレウスを罰することを望んだのであった。
 
 
 
 
{{エンデュミオーンの系図}}