「直心影流」の版間の差分

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投稿し忘れていました。剣(けん)から剣(つるぎ)から刀(かたな)から太刀への変遷を説明いたしました。
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「スナップ斬法」は、「守りの構えからまたたくまに斬りまたまたたくまに守りの構えへ遷移する特殊斬法」であったため日本全国に広まった。しかし、スナップ斬法では、諸刃の剣であるとまれに己の額に当たり、頭皮は浅い傷でも大量に血が出て、目が見えなくなり敗れるおそれがあるという弱点があった。これゆえ、敵に敗れる前に前もって剣を片刃にし刀(とう)とし、支那とは用法の違う刀(とう)であるので、「刀かたな」とした。これが日本刀(にほんとう)の誕生である。
 
つまり、流れ図を書くとこうである。
 
*剣(けん)(諸刃の中央に盛り上がり線あり。)@ユーラシア大陸→剣(つるぎ)(諸刃の中央に盛り上がり線あり。)@日本→スナップ斬法発明@日本→諸刃の剣(つるぎ)の片方の刃を削り取った片刃の剣(つるぎ)(盛り上がりの中央に盛り上がり線あり、のちに「しのぎ」と呼ばれる構造となる。)→支那の刀(とう)とは異なるので刀(かた・な、かたな)と名付ける。→諸刃の剣(つるぎ)の片刃を削りとったため形状は直刀→最初から刀(かたな)として鍛冶師が鍛冶鍛錬製造するさいに剣(つるぎ)の中央の盛り上がりの一線が「しのぎ」として残され、焼き入れの際に刃がある側が薄く刃がない側が厚いため、刃がある方向へどうしても前弯(ぜんわん)してしまう。→天皇陛下のご親戚の武装貴族が反ってしまった刀でスナップ斬法で斬ると額に当たる頻度・強さは増したが、斬撃力がいちじるしく増大し驚く。→御門や武装貴族が鍛冶師に意図的に強く刀(かたな)を反らせるように造らせる。→反りの強い太刀の誕生へとつながる。→文書の歴史に接続
 
さて、弓引きも馬乗りも剣打ちも既に生まれて久しかったが、愛洲移香斎([[愛洲久忠]])が兵法という武術教育システムを世界で初めて整えた。これゆえに愛洲移香斎は剣祖と呼ばれるものである。剣祖はスナップ斬法を存分に駆使した体系の剣術を整備した。剣祖はその剣術を中心として各武術を、相性よく統合した。