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トムセンが一定の原理に従って三時代区分法は拡張解釈され、また別な基準に従って細分され、本来の意義から大きくそれていった。イギリスの考古学者[[ジョン・ラボック]] (Sir John Lubbock 1834 - 1913)によって[[1865年]]に石器時代は2つに分割された。絶滅動物と[[打製石器]]を使っていた時代を[[旧石器時代]] (Palaeolithic Period)、現生動物の存在と[[磨製石器]]を使うようになった時代を[[新石器時代]] (Neolithic Period) と二つに分けられた。[[地質時代]]でいうと前者が[[更新世]]に属し、後者が[[完新世]]に属する。
 
この古典的な時代区分が、世界的に採用・適用されるようになり、新石器時代に、新たに[[土器]]の発明や[[農耕]]と[[牧畜]]の開始の要素が加えられた。しかし、研究が進むにしたがい、各地域では石器時代が多様に展開・発展していることが分かってきて、既述の要素が必ずしも同時に当てはまらない地域も出てきた。例えば農業が始まっているのに土器が出現していないと、磨製石器があるが農業は見られないというような考古学的事実が明らかになってきた。そこで、イギリスの考古学者[[ゴードン・チャイルド]] (Vere Gordon Childe 1892 - 1957) は、基本要素を食料採集から食料生産への転換とし、農耕や牧畜の両方か、どちらかが始まっていれば新石器時代とした<ref group="注">彼は、この転換を産業革命に匹敵するものと考えて「{{仮リンク|[[新石器革命|en|Neolithic Revolution}}]]」(ネオリシック・レボルーション)という言葉をつくった。</ref>。
 
そこで、[[打製石器]]と[[磨製石器]]との過渡期でどちらにも入らない時代を[[中石器時代]] (Mesolithic Age) とすることが[[1909年]][[ジャック・ド・モルガン]] (Jacques de Morgan) によって提唱されている<ref group="注">人類社会の発展を野蛮・未開・文明の3段階に分けた。</ref>。しかし、その後の調査・研究の進展により、中石器・新石器時代の本来の概念は風化していった。
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地域によって違うが、[[オリエント]]では紀元前8000年頃に、中米や[[メソポタミア]]では、紀元前6000年頃に始まった。
地質学的にいうと、人類が現生動物と共存する完新世に属し、磨かれた石の道具である磨製石器を主な道具としていた時代でもある。この頃になると[[土器]]の使用、農耕や家畜の飼育が始まり、自給自足の生活へと変わっていったことから「{{仮リンク|[[新石器革命|en|Neolithic Revolution}}]]」とよぶことがある。しかし始まりの時期が違うように、生活様式は、地域で大分違っていた。例えば日本の[[縄文時代]]も新石器時代に位置づけられるが、日本で農耕が発達するのは縄文時代中期以降であり、牧畜は縄文時代を通じて存在しなかった(日本は、石器時代から近世まで南九州や南西諸島を除き牧畜が発達しなかった点で特異である)。
 
== 地質時代と石器時代の対応表 ==