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考古学的証拠によると、テュルクアイム近郊はローマ時代より既に人が暮らしていた。
 
ゲルマン人が[[ライン川]]を越えて[[ローマ帝国]]領内へ侵攻すると、トゥリンギ族([[:en:Thuringii|en]]、[[北海]]近くにいたゲルマン人)がこの地に定住した。彼らの部族名が地名になったとされる。最初はThorencohaime、その後Thuringheim、ミュンステール修道院の領地となっていた中世にはThuringheimと呼ばれた。一方でオーランズベール領主(Hohlandsberg)の土地として[[神聖ローマ帝国]]に組み込まれた。
 
1312年、テュルクアイムは[[帝国自由都市]]となった。1315年、現在も優れた姿をとどめる城壁の建設が始まった。1354年、都市には市場を開く特権と同様に各種特権が授けられていた。同じ年にはアルザスの帝国自由都市による[[十都市同盟]]に加わった。