「カミーユ・クローデル」の版間の差分

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1864年、[[エーヌ県]]の{{仮リンク|フェレ=アン=タルドノワ|en|Fère-en-Tardenois}}にて、父ルイ=プロスペル・クローデルと母ルイーズの間に3人兄弟の長女として生まれる。妹には母と同じルイーズの名前が与えられた。子供の頃から彫刻に親しみ、卓越した技術と才能を発揮していく。そしてまた類まれなる美貌をも持っていた。19歳の時に彫刻家[[オーギュスト・ロダン]]の弟子となる。時にロダン42歳。2人は次第に愛し合うようになるが、ロダンには内妻ローズがいたため[[三角関係]]となる。その関係はその後15年にわたって続いていく。
 
ローズは大きな心の安らぎの存在であり、カミーユは若さと美貌と才能に満ち溢れた刺激的な存在であったため、ロダンは2人のどちらかを選ぶことはできなかった。その中でカミーユは20代後半にロダンの子を妊娠するも中絶し、多大なショックを受ける。やがて2人の関係は破綻を迎え、ロダンは妻ローズのもとへ帰っていく。徐々にカミーユは心を病み、40代後半に[[精神疾患統合失調症]]を発症する。
 
[[1913年]][[3月10日]]、48歳の時に家族によってパリ郊外の[[ヌイイ=シュル=マルヌ]]にある[[ヴィル・エヴラール精神病院]]に入れられた。その後[[第一次世界大戦]]の影響で南仏の[[モントヴェルク精神病院]]に移動させられ、生涯をそこで過ごした。母ルイーズはカミーユの芸術に理解を示さなかったため、2人の間には生涯確執が消えることはなかった。そのためルイーズと妹が病院へ見舞いに行くことは一度もなく、ポールが数年に1度見舞うのみであった。しかし弟も結婚し、外交官として任地の[[上海市|上海]]へ向かった後は姉と会う回数が激減した。