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指導者としてアメリカのサマースクールで学び、スイスの[[アーノルド・ゲルシュイラー]]とも交流を持つ<ref>『君なら翔べる!』pp. 91-93</ref>。アメリカで学んだことをリンク運営にもつぎ込み、品川プリンスに当時の日本としては先進的なリンク貸出システムを導入してリンクの発展に寄与した<ref>『君なら翔べる!』pp. 96-98</ref>。日本で否定されていたエッジの機械研ぎを導入したのも佐藤である<ref>『君なら翔べる!』pp. 99-101</ref>。1991年に品川プリンスのリンクが閉鎖された後は、生徒を連れて新横浜プリンスホテルスケートセンターに拠点を移している<ref>『君なら翔べる!』p.166, p.248</ref>。
 
初めて世界の表彰台に立った教え子は、[[都築章一郎]]とともに指導した[[佐野稔]]<ref>『君なら翔べる!』p. 109</ref>。以来、[[松村充]]、[[加藤雅子]]、[[佐藤有香]]、[[荒川静香]]、[[安藤美姫]]、[[村主章枝]]、[[中野友加里]]らを指導してきた。現在は[[浅田真央]]、[[小塚崇彦]]らのコーチを務めている。2010年に[[世界フィギュアスケート殿堂]]入り<ref>[[田村明子]]著『パーフェクトプログラム 日本フィギュアスケート史上最大の挑戦』新潮社、2010年3月、p.167</ref>。
 
同じリンクでコーチを務める妻・久美子とはスケーティングを大事に指導する点で共通するが<ref>『君なら翔べる!』p. 193</ref>、基本的に夫婦共同で生徒を教えることはしない<ref>『君なら翔べる!』p. 203</ref>。掌を上に向けるだけでも怒られる時代に競技生活を送ったため表現面の指導には苦手意識があり、表現やプログラム作り、海外の振付師への依頼は久美子が担当している<ref>『君なら翔べる!』pp. 147-148</ref>。