「カンナエの戦い」の版間の差分

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この戦いから特に包囲戦の有効性が強調されるが、ローマの敗因は包囲されたことによりパニック状態になり、有効な組織的対応が出来なかったことにある点に留意する必要がある。もしローマ歩兵が包囲側の攻撃に耐え、そのまま前進して包囲網を突破し、左右に展開出来たならば、逆に寡少なカルタゴ軍を包囲できたことになり、全く違った結果となっていたと考えられる<ref>[[:de:Theodor Mommsen|Theodor Mommsen]] 1984 ''Römische Geschichte; Bd. 1'' --Deutscher Taschenbuch Verlag</ref> 。
 
後年、この戦いは包囲殲滅戦の手本とされ、[[ドイツ帝国]][[ドイツ陸軍|陸軍]]の[[シュリーフェン・プラン]]や、[[日露戦争]]の[[奉天会戦]]の[[大日本帝国陸軍|日本軍]]もこれを参考にした。また、現代の教書でもこの戦いは重要視されている。この戦術は現在でも有効であり、[[スターリングラードの戦い]]では[[ソ連軍]]が、ドイツの[[第6 (ドイツ軍)|第6軍]]をこれと同じ戦術で包囲殲滅している(馬ではなく戦車であるが)。<!--カンネーの4回戦で10万に達した。←参加兵力よりも大きい犠牲者なので一旦コメントに-->
 
== 参考書籍 ==