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鬱陵島の西側に「于山島」の名が確認できる。
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[[ファイル:DaehanJeondo.jpg|thumb|right|250px|『[[大韓地誌]]』(1899)より「大韓全図」[[鬱陵郡]]]]
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于山島と[[鬱陵島]]の位置関係
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'''于山国'''(うざんこく)は、現在の[[鬱陵島]]を領土とし、太古に存在していたと記録される国である。[[512年]]に朝鮮本土の[[新羅]]に服属させられたと記録される。しかし、[[11世紀]]初頭には[[女真]]の海賊の侵攻によって滅びたと考えられている。[[大韓民国|韓国]]では、于山国の領土を現在の鬱陵島とその周辺の島であるとし、現在の[[竹島 (島根県)|竹島]](韓国名・独島)を含むと主張している。また竹島(韓国名・独島)を[[于山島]]であるとしているが、于山国の記述のある『[[三国史記]]』には周辺の島のことは全く記されていない
 
== 概要 ==
また資料が少ないため、この国の詳細はよく分かっていない。
[[大韓民国|韓国]]では、于山国の領土を現在の鬱陵島とその周辺の島であるとし、現在の[[竹島 (島根県)|竹島]](韓国名・独島)を含むと主張している。また、竹島(韓国名・独島)を[[于山島]]であるとしているが、于山国の記述のある『[[三国史記]]』には周辺の島のことは全く記されていない。
 
[[史料]]が少ないため、「于山国」の詳細はよく分かっていない。しかし、山名と見なされる「于山」、および、島の名である「于山島」は朝鮮の史書・地理書には数多く登場する(→記事「 '''''[[于山島]]''''' 」参照)。ただし、于山が竹島(独島)を明瞭に指し示している事例は存在しない。
 
== 『三国史記』に登場する于山国 ==
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([[智証麻立干]])十三年([[512年]])夏六月、'''于山国'''が服属し毎年土地の産物を貢いだ。'''于山国'''は[[新羅#九州|溟州]](現在の[[江原道 (南)|江原道]][[江陵市]])のちょうど東の海の島にあり、別名を鬱陵島という。外周は百里ほどで、渡航が困難なことを恃みにして服従しなかった。何瑟羅州の軍主となった[[新羅#官位制度|伊飡]]の[[異斯夫]]が言うには、于山人は愚かで凶暴である。威嚇するのは難しいが計略をもってすれば服従させることができる。そこで木製の[[獅子]]の像を多く造り戦艦に分けて載せその国の海岸に着くと、誑かして「お前たちがもし服属しなければ、すぐにこの猛獣を放ち踏み殺させるぞ。」と告げると、于山国人は恐れ慄きすぐに降伏した。
 
== 関連項目 ==
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* [[于山島]]
 
{{DEFAULTSORTデフォルトソート:うさんこく}}
[[Category:新羅]]
[[Category:朝鮮史の国]]
 
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