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'''于山国'''(うざんこく)は、現在の[[鬱陵島]]を領土とし、太古に存在していたと記録される国である。[[朝鮮半島]]の史書には、[[512年]]に朝鮮本土の[[新羅]]に服属させられたと記録される。しかし、[[11世紀]]初頭には[[女真]]の海賊の侵攻によって滅びたと考えられている。
 
== 概要 ==
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== 『三国史記』に登場する于山国 ==
[[1145年]]に編纂された[[朝鮮半島]]に残る最古の文献史料『[[三国史記]]』によると、太古に誕生した国家であったが[[三国時代 (朝鮮半島)|三国時代]]の[[512年]]に朝鮮本土の国半島南東部にあった[[新羅]]の計略によって服属させられたが分かしている。
 
=== 于山国のことが記されている『三国史記』の原文 ===
『三国史記』巻第四 新羅本紀 智證麻立干紀
{{quotation|
 
十三年夏六月 '''于山国'''帰服 歳以土宜為貢 '''于山国'''在溟州正東海島 或名欝陵島 地方一百里 恃嶮不服 伊飡異斯夫 為何瑟羅州軍主 謂于山人愚悍 難以威来 可以討服 乃多造木偶師子 分載戦船 抵其国海岸 誑告曰 汝若不服 則放此猛獣踏殺之 国人恐懼則降
 
<small>(可読性向上のため空白を入れ、固有名詞以外は旧字体を新字体に変更している)</small>
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:[http://147.46.181.118/IMAGE/SNUG0004.PDF 原文](8ページ参照)(PDF)
 
=== 翻訳 ===
『三国史記』巻第四 新羅本紀 智証麻立干紀
{{quotation|
([[智証麻立干]])十三年([[512年]])夏六月、'''于山国'''が服属し毎年土地の産物を貢いだ。'''于山国'''は[[新羅#九州|溟州]](現在の[[江原道 (南)|江原道]][[江陵市]])のちょうど東の海の島にあり、別名を鬱陵島という。外周は百里ほどで、渡航が困難なことを恃みにして服従しなかった。何瑟羅州の軍主となった[[新羅#官位制度|伊飡]]の[[異斯夫]]が言うには、于山人は愚かで凶暴である。威嚇するのは難しいが計略をもってすれば服従させることができる。そこで木製の[[獅子]]の像を多く造り戦艦に分けて載せその国の海岸に着くと、誑かして「お前たちがもし服属しなければ、すぐにこの猛獣を放ち踏み殺させるぞ。」と告げると、于山国人は恐れ慄きすぐに降伏した。
}}
 
=== 解説 ===
([[智証麻立干]])十三年([[512年]])夏六月、'''于山国'''が服属し毎年土地の産物を貢いだ。'''于山国'''は[[新羅#九州|溟州]](現在の[[江原道 (南)|江原道]][[江陵市]])のちょうど東の海の島にあり、別名を鬱陵島という。外周は百里ほどで、渡航が困難なことを恃みにして服従しなかった。何瑟羅州の軍主となった[[新羅#官位制度|伊飡]]の[[異斯夫]]が言うには、于山人は愚かで凶暴である。威嚇するのは難しいが計略をもってすれば服従させることができる。そこで木製の[[獅子]]の像を多く造り戦艦に分けて載せその国の海岸に着くと、誑かして「お前たちがもし服属しなければ、すぐにこの猛獣を放ち踏み殺させるぞ。」と告げると、于山国人は恐れ慄きすぐに降伏した。
このようにして、[[6世紀]]に于山国が新羅の属国となったことがたとえ史実であるとしても、新羅が于山国を直接支配しているわけではないことがうかがえる。また、『三国史記』編纂時期より500年も前のできごととして記されている。さらに、現代の地理にあてはめると、「別名を鬱陵島という」ことだけが唯一の情報であり、竹島(独島)を含むとは書いていないところから、[[竹島問題外交交渉史|竹島問題]]における韓国側の主張は必ずしも充分な説得力をもつには至っていない。
 
== 関連項目 ==