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[[画像:WakoDenki.JPG|thumb|和光電気の[[台湾]]・[[台北市]]天母店(倒産後の模様)(跡地は[[燦坤実業|燦坤]]となる)]]
'''和光電気株式会社'''(わこうでんき)は、かつて[[大阪市]][[天王寺区]]に本社があった非上場企業。[[家電量販店]]「'''和光デンキ'''」を展開していた。
 
== 概要 ==
[[1950年]](昭和25年)5月創業、[[1958年]](昭和33年)2月に会社設立。[[2003年]](平成15年)4月に経営破綻し、民事再生手続開始申立てがなされた。
 
=== 店内で扱っていた商品 ===
店内は家電全般の他、輸入ブランド品や衣料、ワゴンで売られる演歌などのCDやカセットテープ、ネクタイやベルト、日用雑貨、食品など幅広い品揃えだった。
 
バブル以降の不景気な頃でも「特別ご招待会」等のイベントを毎月1度開催し、ダイレクトメールの封筒(ダイレクトメールの発送は毎回300万通)を持ってきた顧客には必ずノベルティを進呈していた。そのノベルティの数量は半端でなく1回500,000個を超えていた。これは近所の主婦たちの楽しみでもあった。
 
=== 会員特典 ===
「和光ゴールデンカード」という会員カードを無料で発行。店頭では「一般価格」と「会員価格」が表示されていた。登録会員数は全店で500万件、年間に最低1回以上来店購入客数は100万人を越えていた。
 
=== CM展開 ===
* 「もし貴方が節約家なら」(キャッチフレーズ)
* 「一生懸命働くことが 私たちの誇りです。小さな種を努力で育み、お客様と喜びを分かち合う」
* 「1円、この小さな節約が 豊かな実を実らせます。無駄を省いてよりよい品を より安く」(上記2つはアニメーションのCM)
* 「いーじゃなーい和光デンキ」(素人の実写CM)
* 「中途半端でまだ安い」(当時の[[ミドリ電化]]のCMに対抗)
など、[[関西ローカル]]においてテレビCMを多く放送していた。
 
=== 多角な経営・失敗 ===
2001年には[[ヤマダ電機]]と業務提携し、「WAKOヤマダ」という店舗を奈良県にオープンしたが1年もたたず解消。その他、合弁会社「和光ヤマダ電機」(後の「関西ヤマダ電機」現[[ダイクマ]])を設立し、関西地区に10の店舗を展開していた。現在は滋賀県および兵庫県に計3店舗を展開している。さらにこの頃、[[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]とも提携していたが、それも失敗に終わる。ちなみに本社跡にドン・キホーテパウ上本町店が入居する等大阪のドンキ店舗は元和光店舗が多い。(現在営業中の箕面店・枚方店・狭山店も元和光)
 
最晩年は店舗名を「××店」から「とくとく世界館」「超激安の殿堂 by WAKO」「ニュードリームライフ by WAKO」などと迷走。「ディスカウント」の形態は関西では珍しくなくなりつつあり、「激安世界一への挑戦」というキャッチフレーズもむなしく空振りしていた。
 
WAKOヤマダ店以外はポイント制度は導入しなかった。
当時の仕様は不明だがガード外観は現在ヤマダ電機店舗で使われているリライト式ポイントカードと社名と店名部分除いて同じだった。
 
=== 倒産・終焉 ===
2003年[[4月28日]]、[[大阪地方裁判所|大阪地裁]]に民事再生手続開始を申し立て、翌月、同手続開始決定がなされた。この時にもヤマダ電機が支援に名乗りを上げたものの、その後の交渉は不調に終わり、結局再建に向けた支援が受けられないまま、同年9月に和光電気の再生管財人により、「会社清算に向けた再生計画を策定する」旨の発表がなされ、翌年、同社は解散することとなった。
 
2003年6月、破綻当時の[[代表取締役]]社長であり、個人としても民事再生手続開始決定を受けていた鎌田敬一が、[[民事再生法]]違反(詐欺再生:裁判所の財産保全命令にも拘らず、多額の個人資産を隠蔽していた)の被疑事実で[[大阪府警察|大阪府警]]に逮捕された。同年9月22日 経営再建を断念し会社清算への方針を固める。[[2005年]][[11月15日]]で解散(登記簿に記載)。2006年2月22日に清算を結了し、名実ともに56年の歴史の幕を閉じた。
 
== 沿革 ==
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* [[1984年]] 資本金4億1,405万円に増資、ゴールデン会員制度発足
* [[1987年]] 台湾に開店、倒産まで存在。なお、台湾では和光電気という家電量販店は存在したために、和高電気という社名を名乗っていた。
[[画像:WakoDenki.JPG|thumb|和光電気の[[台湾]]・[[台北市]]天母店(倒産後の模様)(跡地は[[燦坤実業|燦坤]]となる)]]
* [[1988年]] 徳島市に昭和町店開店、経常利益率ランキング全国1位達成
* [[1989年]] インポートワールドなんば及び、同もず店開店 ※海外ブランドの取り扱いを開始
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* [[2006年]][[2月22日]] 清算結了。名実ともに56年の歴史の幕を閉じる。
 
=== 店内で扱っていた商品 ===
店内は家電全般の他、輸入ブランド品や衣料、ワゴンで売られる演歌などのCDやカセットテープ、ネクタイやベルト、日用雑貨、食品など幅広い品揃えだった。
 
バブル以降の不景気な頃でも「特別ご招待会」等のイベントを毎月1度開催し、ダイレクトメールの封筒(ダイレクトメールの発送は毎回300万通)を持ってきた顧客には必ずノベルティを進呈していた。そのノベルティの数量は半端でなく1回500,000個を超えていた。これは近所の主婦たちの楽しみでもあった。
{{日本の家電量販店}}
 
=== 会員特典 ===
「和光ゴールデンカード」という会員カードを無料で発行。店頭では「一般価格」と「会員価格」が表示されていた。登録会員数は全店で500万件、年間に最低1回以上来店購入客数は100万人を越えていた。
 
== 概要CM展開 ==
* 「もし貴方が節約家なら」(キャッチフレーズ)
* 「一生懸命働くことが 私たちの誇りです。小さな種を努力で育み、お客様と喜びを分かち合う」
* 「1円、この小さな節約が 豊かな実を実らせます。無駄を省いてよりよい品を より安く」(上記2つはアニメーションのCM)
* 「いーじゃなーい和光デンキ」(素人の実写CM)
* 「中途半端でまだ安い」(当時の[[ミドリ電化]]のCMに対抗)
など、[[関西ローカル]]においてテレビCMを多く放送していた。
 
=== 多角な経営・失敗 ===
2001年には[[ヤマダ電機]]と業務提携し、「WAKOヤマダ」という店舗を奈良県にオープンしたが1年もたたず解消。その他、合弁会社「和光ヤマダ電機」(後の「関西ヤマダ電機」現[[ダイクマ]])を設立し、関西地区に10の店舗を展開していた。現在は滋賀県および兵庫県に計3店舗を展開している。さらにこの頃、[[ドン・キホーテ (企業)|ドン・キホーテ]]とも提携していたが、それも失敗に終わる。ちなみに本社跡にドン・キホーテパウ上本町店が入居する等大阪のドンキ店舗は元和光店舗が多い。(現在営業中の箕面店・枚方店・狭山店も元和光)
 
最晩年は店舗名を「××店」から「とくとく世界館」「超激安の殿堂 by WAKO」「ニュードリームライフ by WAKO」などと迷走。「ディスカウント」の形態は関西では珍しくなくなりつつあり、「激安世界一への挑戦」というキャッチフレーズもむなしく空振りしていた。
 
WAKOヤマダ店以外はポイント制度は導入しなかった。当時の仕様は不明だがガード外観は現在ヤマダ電機店舗で使われているリライト式ポイントカードと社名と店名部分除いて同じだった。
 
=== 倒産・終焉 ===
2003年[[4月28日]]、[[大阪地方裁判所|大阪地裁]]に民事再生手続開始を申し立て、翌月、同手続開始決定がなされた。この時にもヤマダ電機が支援に名乗りを上げたものの、その後の交渉は不調に終わり、結局再建に向けた支援が受けられないまま、同年9月に和光電気の再生管財人により、「会社清算に向けた再生計画を策定する」旨の発表がなされ、翌年、同社は解散することとなった。
 
2003年6月、破綻当時の[[代表取締役]]社長であり、個人としても民事再生手続開始決定を受けていた鎌田敬一が、[[民事再生法]]違反(詐欺再生:裁判所の財産保全命令にも拘らず、多額の個人資産を隠蔽していた)の被疑事実で[[大阪府警察|大阪府警]]に逮捕された。同年9月22日 経営再建を断念し会社清算への方針を固める。[[2005年]][[11月15日]]で解散(登記簿に記載)。2006年2月22日に清算を結了し、名実ともに56年の歴史の幕を閉じた。
 
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[[Category:かつて存在した日本の家電量販店]]